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第134話  人生が二度あれば

  運転しながら車のダッシュボードを開けて、中にストックしてあるビニールパックに小分けされたティッシュペーパーのひとつを取り出すと、その奥底に数枚のCDがあるのが目にはいった。ちょうど今聞いていたものからそろそろ何か違うものに変えようかと思いつつあった私は、ついでにそのCD数枚も取り出してみた。
モッズにストレイキャッツ、ビージーズにヤザワなどなど、近ごろはとんと聞く事も無かった懐古的ロックなCDがずらり。しばらく取り出した事も無かったそれらは、そこにある事さへ忘れかけていたものばかりだ。
そのCDの束の中に井上陽水のものが一枚。
1970年代、私の中学時代はフォーク全盛の頃でご多分にもれずに私自身も吉田拓郎からかぐや姫に小室等、その他もろもろの曲をきいては多感な時代を過ごしていた。
かつては社会に対する反体制的なメッセージ性の強いものが主流のフォークだったが、70年代に入ったあたりから身近で内面的な叙情を表現したものへと変貌し、その頃になってやっとメジャーなものとなってきていた。
素肌に触れそうな程の思いが廻る歌詞と個性的楽曲はストレートに私の心の奥底にへばりついた。フォークギターは買えなかったが、親戚の兄からもらったクラッシックギターでコードを弾いた。キレのないぼやけた音は、それはそれなりに哀愁を誘った。

「人生が二度あれば」を初めて耳にしたのはちょうど中学3年生の時だった。
ある日の給食の時間、その時間は放送部が好きな音楽を流す事が許されていた。井上陽水のそれは、その日の当番が手持ちのレコードかテープを持参したものに違いなかった。
今までにないとても斬新な歌詞だった。私自身の境遇を思うのではなく、その歌詞から受ける情景が唐突にも私の心を乱し、そして心のなかでむせび泣かせた。
その通りだ、と思った。苦労ばかりにみえる人生、懸命に生き抜いてきたその細く小さな年老いてしまった身体、その手には欠けたままの湯のみ茶碗、暗く計り知れない不安定さが漂っていた。
日本が成長に転じて行く過渡期、思想の衝突、過激な学生運動、ハイジャックなどの卑劣なテロにオイルショックなどの無秩序な社会現象等々、まさしく時代は激動の渦のなかにあった頃。
貧乏が普通だった、もう一度生まれ変わる事ができるなら今度は楽な生活をさせてやりたい、そう願う歌詞のなかの世界感は充分に理解できた。なにか、かたちの見えないむなしさが中途半端な私を途方に暮れさせた。

CDをセットした。
身震いするほど懐かしい曲がならぶ。
「父は今年2月で・・・・」無常をにおわせ、たんたんと曲は流れる。
その父、と言っていい歳にじわりじわりと近づいている私、根本的な思考程度は当時とさほど変わってはいないような気はするが、受け取り方、感じ方はまったくちがうものとなっている。経験値の違い、単にそう言えるかもしれない。
イメージ内の父親は、そして母親は、それなりに充分に充実した人生半ばなのかもしれないし、また、まだまだその先には頑張らなくてもいい安息の日々が待っているかもしれない、と考えが及んだ。人はそれぞれ、想いはいろいろ、人生はその人のものだから・・。ただ、そうしてやりたいと思える気持ち、その、人を想う気持ちの方が大切なのかもしれない、とも。
それにしてもこの「人生が二度あれば」、心に沁みいる曲である事は間違いない。
私は想う、人生は、一度、それで完結。人生をまた一から始める闘志や勇気や根性は、さっぱりと今の私には無いようだ。
どれどれ、昔々のCDを引っ張り出し、ゆっくりと聞いてみようか、なにかまた違う想いが宙を舞い始めるかもしれない。

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