コンビニの情報誌で数件のホテルをピックアップし、三軒目でK二号と私はそれぞれの部
屋を確保する事が出来た。
どうやらこの悪天候のせいで何処のホテルも宿泊希望者が跡を絶たない様子であった。
幸運にも今夜の宿を確保出来きて一息ついたのだが、そのホテルには食事をする設備もビ
ールや清涼飲料水の自販機さえも用意されてはいなかった。この事実を知ったK二号はホ
テルの傘を借り、疲れた体に鞭打ち食料等の買い出しに出掛けてくれたのであった。
申し訳なかったが、私は先にシャワーを浴び、ずぶ濡れの服を全て洗濯機に突っ込み、裏
が透けて見えるまでにたっぷりと水分を含んだ札を財布から全て抜き出し、テーブルの上
に綺麗に並べたのである。明日には服も札も乾くだろう。
その一連の作業を終えた時、ビールと食料のたっぷり入ったポリ袋を両手いっぱいに抱え
たK二号が帰って来たのである。私は自身の身の回りの事に夢中で時間の経過は全く頭に
無かったのだが、置き時計に目をやるとホテルに着いてから既に40分が経過していた。
それは、K二号がその時間を買い出しに費やしたと言う事である。
聞けばこのホテルの近所は住宅街で簡易な雑貨店すら見当らず、コンビニを求めてさまよ
い続けていたらしいのだ。この嵐の中申し訳ない気持ちでいっぱいであった。疲労もピー
クであったろう。ありがとうK二号!
外は未だ激しく風雨が吹き荒れ、ホテルの部屋の窓にも大きな雨粒が勢い良くぶつかる音
が鳴り響く中、たった今シャワーで生き返ったK二号と、電話で仕事を一通り片付けた私
は、生きてここに存在している事に対して冷えたビールで乾杯した。
途中、何度命の危機に遭遇した事か。壮絶な旅の序章であった。
コンビニで出会った例の神の使いである美しい女性は、かなりしつこく私に付きまとって
はいたが、あの身も心もボロボロの状態での第一声で『神を・・・』と言われた瞬間、私
はにわかには受け答えが出来ずに、唖然とした面持ちで突っ立っているだけであった。彼
女が駆け寄って来た時点の有頂天心理から、勧誘と知った時点のテンションの急降下に、
心と体が付いて行けなかったのだ。矢継ぎ早にまくしたてる彼女の神の言葉をボ~ッと遠
い耳鳴りの響きの様に感じていると、この人ちょっとおかしいのかな?と思ったに違い無
かった。雰囲気で解ったが、それで良かった。私に哀れんだ目を向けたかと思うと、
(また今度ね!)と言ってコンビニの裏へと走り去ったのだ。
きっとあのコンビニの裏には秘密の出入り口があり、その先には摩訶不思議な神の無限次
元が存在するのかも知れない。ただ、下世話ではあるが別れ際はタメ口かよ!と思った。
翌朝、私は早めに起床しホテルの電話帳で近所のバイクショップを探し、故障中の自身の
KAWASAKIの修理を頼んで来た。次にその足でレンタカー会社に立寄りワンボック
スのバンを借りたのである。昨夜K二号と話し合い、ここから富士山までは車で行こうと
言う事になったのだ。K二号のショベルはこのホテルで預かってもらえる事になり、チェ
ックアウトとともに再び出発したのである。快適であった。昨夜までの暴風雨が嘘の様に
晴れ上がり、空はどこまでも青かった。
佐野から東北道、そして首都高に入り中央道へと抜けた。その中央道をひたすら走り続け
ていると、目指すあの霊峰富士の姿が少しづつではあるが視界に入って来たのだ。
感動である。
東海道新幹線の車窓からしか眺めた事はなかった富士山が、リアルに私達の眼球の先にあ
るのだ。しかも、徐々にではあるが近付いているのである。当初の目的である登山をぜひ
実現したい為、O二号に頼んで彼の親戚が経営する河口湖畔の宿を確保してもらっていた
。その宿には昨夜からK一号(以下K)とO一号(以下O)も、O二号と一緒にチェック
インしている筈だ。もうすぐ彼等とも合流出来るだろう。明日の早朝5人で、現在手の平
大に見えているあの富士山の頂上を制覇するのだ。昨日の台風との死闘に比べればなんの
事は無いと思った。
私達の車は他車と先を争いながらも順調に進路をクリア-していた。どんどん富士山が大
きく見えてくる。先程は手の平大に見えていたのだが、車のスピードと時間の経過と共に
どこまでも富士山が大きくなり、現在では視界の半分を占めるまでになっていた。だが、
まだまだ富士山に向かっての道程は多分にありそうだ。それを進むに連れ増々富士山は巨
大になって行く。
いったいぜんたいどこまで大きいのだ!
その巨大化と途方も無い美しさに呆然と見蕩れながらも進んで行くと、前方に大きな観覧
車が見えて来た。富士急ハイランドだ。もうすぐ皆に会える。
彼等は待ち合わせ場所に既に到着していた。久し振りの再会である。社会に出てから5人
揃うと言うのはなかなか無い事だろう。懐かしさとうれしさでいっぱいだった。
皆で近くのレストランに入り、軽い昼食をとった。そのしばしの歓談中にO二号が私達に
向かって明日のスケジュールを話したのである。
(叔母は、富士登山は深夜0時位の出発がいいんじゃない!と言ってましたよ。今日は夕
方から早目に休んだ方が良いと思いますよ!)と。
私達は即座に(行かない!)と答えた。
(えっ!)とO二号絶句。
私達は富士山を余りにもなめていたのだ。この富士急ハイランドに到着する少し手前で、
K二号と二人で決めたのであった。富士山に接近し、本物と対峙した時点であまりの雄大
さに度胆を抜かれてしまったのである。昨日の嵐など比ではなかった。実際の姿、形、大
きさは私達の想像を遥かに越えていたのだ。この私達の半端な思考と現在の抜け殻の様な
体力と踵の折れたコンバースではとても挑めるものでは無いと悟ったのだ。完璧に、しか
も爽快にノックアウトされてしまっていたのである。この旅は真に自らの限界が露呈され
、そのちっぽけさが充分身に染みたものであったと言う事だ。もっと謙虚に、もっと素直
に、もっと穏やかに生きなくてはならないと感じさせられた。その空間には無色透明に澄
み切ったスローな時が流れていた。
まさに神との出会いであった。
※この後K二号は愛車であるショベルを駆り、日本一周の旅に出た。その日本一周を成し
遂げた後、オーストラリアへ一年間遊学し現在のBAR経営に至る。私は体力強化の為近
くの小さな山に時々挑み続けている。あれから数年経過し、そろそろ一緒に富士山を制覇
したいものだと考えている。