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第26話  中学時代のポール君

中学生になり普通学級へと編入出来たポール君(以下ポール)とは幸運にもまた同じクラ
スであった。
ポールは中学生になったこの頃でも未だ身長の伸びに難があり、そのクラスの中でも一番
背が低く(学年でも一番であった)朝礼などではもちろん名誉ある一番前の定席であった。
前習いをする時などは小学生の頃から両手を腰にあてており、前列にいる友達の背中に向
かって両手を差し伸べた事は、私の記憶の中ではただの一度も無かった筈だ。
そう言う私もポール同様それ程身長のある方ではなく、朝礼では一番前から数えて三番目
、四番目あたりを行ったり来たりの繰り替えしが常であったので
((ポールにだけは絶対に身長を追い抜かれたくはね~な~!))
などと全く他愛無い事を真剣に考えたりなどしている程度のまるで脳天気で刹那主義な中
学時代であった。

この頃私達の中学校への登校手段としては、徒歩、バスそして自転車の三択が与えられて
いた。
登校距離の中途半端な私達(ポールも)はもっぱら自転車を利用していたのである。その
自転車は現在では殆ど見かけなくなったウインカーフラッシャー付きの物で、電池を装着
しウインカーのスイッチを入れると、その方向へ向かって光りが点滅する仕掛けの当時と
しては最新型の物であった。
皆も競う様に各メーカー仕様の多種多様なフラッシャー付きに乗っていたものである。
その朝も私はいつもの様に自転車に乗り中学校へと出掛けた。
それもいつもの事なのだがポール達と登校途中に自然と出会うのだ。今朝は私も合流し4
人の集団になっていた。
時間に余裕さえあれば、極めて牧歌的な風景の中をゆっくりと走って行けるのだが、この
日は残念ながら少々遅刻気味の時間帯でもあったので、出会い頭からのんびりと自転車に
乗っている場合ではなかったのだ。なぜなら、遅刻ぎりぎりに間に合うはずの最終バスが
私達の後方から迫って来ていたのである。このバスに抜かれてしまうと間違い無く私達は
遅刻なのだ。
どの時代にでもあるであろうありふれた光景ではあるが、遅刻をすると校門前での反則儀
式である体育の先生のデコピンが待ち構えているのである。
これがどうしようもなく痛い。私達4人は渾身の力をペダルへと伝え続けていた。
バスに抜かれてはいけない。
ここで体の軽いポールが一歩抜け出した。

ギアを5速に突っ込み快心の走りである。三馬身差で先頭へと抜け出したポールは意気揚
々とあの小さな背中を私達に向け突っ走って行った。
だが無情にもあの遅刻最終バスが私達をとうとう捕えてしまったのだ。
懸命に走る私達の横をディーゼルエンジン特有の唸る様な低音を響かせあっさりと抜き去
ってしまったのだ。先頭を突っ走るポールもしかり、そのバスに抜かれる寸前であった。
そして丁度バスがポールの横を通り過ぎ、ポールの前方へと回り込んだ瞬間だった。

突然バスの排気管からポール目掛けて爆音と共に炎が吹き出したのだ。
大型バスの凄まじいバックファイヤーである。その恐ろしい悪魔はポールの全てを炎の渦
へと飲み込みながら今度は台風並みの爆風で蹴散らした。
私達の目前でポールの全身は黒焦げになり、情け容赦なしの高速縦回転を加えられながら
空高く飛ばされてしまったのだ。
数秒後その体は道路左側に設置してある側溝へと自転車もろとも落下したのだった。

小学生の頃からよく車には飛ばされる男である。

バスはこの出来事に全く気付く事もなくまるで何事も無かったかの様に普通に走り去った
のだった。
この地獄の様な光景を目の当りにした私達は暫く呆然と立ちすくんでいたのだが、我に返
るやポールの事が心配になり、白煙の立っているその側溝へとすぐさま向かったのだ。
案の定ポールは黒焦げになりしかも気絶していた。

私達はポールを抱きかかえながら名前を呼び、そして体を揺すってみた。すると、キョト
ンと目を覚ましたポールは何を思ったか、無言で私達を押し退けた後すかさず自転車を起
こしては路上へと持ち上げまたすぐに走り出したのだ。
何が起こったのかまったく解らない様子であった。
それにしても強い執念の男である。だが、やはり私達にはこの珍事でのタイムロスが痛か
った。この遅刻の原因の話をしてはみたものの先生は信じてはくれないのである。
そしてデコピンは増々痛かった。
ポールも排煙を被った真っ黒の顔でデコピンをビシバシ受けていたのであった。
そしてこの後も私達の奇想天外な自転車登校生活は3年間続くのであった。それとともに
デコピンの回数も増え続けた事は言うまでもない。

時も立ち中学卒業と言う時にポールは私にそっと打ち明けた事がある。
「俺、騎手になるらしい。」と言うのだ。
らしいと言うのは、どうやらポールの両親の方が彼を騎手にさせたいらしいと言うのだ。
彼の身長もとうとう中学3年間でも伸び悩んでいた。
いやいや!ほとんど伸びなかった。この事がどうも彼を騎手にしようと両親を思わせた理
由らしいのだ。
それだけの理由では到底厳しく難関だと思うのだが?ただ、私のいままでの人生の中で騎
手になると言った人はポールただひとりだけである。
もちろん知り合いにも騎手の方は皆無である。とても稀で特異な職業だと当時も感じたが
昨今もまた感じている。
あの時、持ち前のチャレンジ精神を武器に小さな体で大きな壁を乗り越えたのだろうか?
あれから約30年、中学卒業後のポールの消息はいまだ不明である。

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