2002年9月、私と店のスタッフであったK二号と一緒に、バイクで富士山に向かおう
と言う計画を立てた。折しも大型の台風が日本上陸を果たし、関東から東北へと猛威を振
るっている最中であった。
だが、この八戸では未だ雨も風もなく、これなら行けるだろうと安易に考えたふたりは出
発進行、高速に乗ったのである。
すると、やはり数分後には大粒の雨が降り出して来たのだ。
この時点ではすでに折り返す事もできず、高速道路を突っ走るしかなくなっていた。この
状況下、私はK二号の存在を確認しようと後方を振り向いた瞬間であった。
こともあろうに私のヘルメットシールドがはずれ、K二号をめがけて飛んで行ってしまっ
たのである。
しかしさすがK二号、なんとか避けてくれた。危なかった。
だが、ホッとしたのも束の間であった。今度は私のバイクが走らない。アクセル全開なの
にどんどん減速してしまうのだ。
これでは危険だと感じた私は高速の路肩に停車させる事にした。突然の私の停車に驚いた
K二号も、急いで止まろうとしたが直ぐには止まれずに流されてしまい、なんと路肩の無
い車道に停車してしまったではないか。
だが、これも後方から来た大型保冷車が、なんとかK二号を避けてくれてセーフ。
危なかった。すでにK二号は2度、別の世界に召される所だった。
私のバイクは吸気口から雨を吸ってしまい、オイルが白濁していて素直に走れる状態では
なかった。
サービスエリアに停車するたびにオイルフィルターを絞りながらの綱渡り走行。雨は益々
ひどくなり風も強くなって来た。
寒い、凍える程寒い。この対策としてもサービスエリア毎に古い新聞紙を貰い、体全体に
巻きつけながら走行していた。どうしよう、今度は寒さで腕が動かない。
それでもK二号は、文句のひとつもいわずに一緒に走り続けていた。たいした奴だ。
だが、それでもとうとうこのライディングには終演が近づきつつあった。
高速は二車線から三車線へと移り変わり、まん中の車線を走行中の私達の両側を、雨を巻
き込んだ大型保冷車が何台となく駆け抜け、前方を走行中の車両のテールランプの赤いか
すかな光がなんとなく見えたり、見えなかったり。
風雨の勢いは益々勢力を増し、私達はどこを走っているのか、何をしているのか理解不能
状態に落ち入ってしまっていた。
するとその時、うっすらとではあるが左前方にインターの文字を発見する事が出来た。
すかさず私達はその場所へと引き寄せられていっていた。
バイクを駐輪場へ止め、K二号と顔を見合わせた瞬間、私達は無言で頷きあった。
それが、ここから先のライディングは無理だと言う私達の心の中の合図であった。
そこは佐野インターであった。
佐野の市街へと移動し、ホテルを探すためにコンビニへ立ち寄ることにした。
私がお店の方へ向かって歩き出すと、その建物の陰からひとりの美しい女性が私をめがけ
て駆け寄ってくるではないか。そして、(ちょっと良いですか?)と声を掛けて来た。
私は出会いを感じた。台風の中、頑張って走って来てこの地に着いた事に感謝した。
私は満面の笑みで、(なんですか?)と元気よく答えた。
すると彼女はちょっとはにかむ様に、
「あなたは、神をしんじますか?」と言った。
私の疲れがレットゾーンを振り切ってしまった。
K二号とふたり、とことん飲んだ嵐の夜だった。