何年ぶりなんだろう?
そう瞬時に考えてしまう程の長い期間を空けてBがふらり私の目の前に姿を現した。それは6月の上旬、ここ八戸もそろそろ昼には30℃に近い高気温をたたき出し始めた頃である。
カウンター前にたたずむ彼の両脇にはそれぞれ同年代の女性がひとりづつ立っていた。
「お久しぶりです。元気でやってますか?って、元気そうですね。彼女ら俺の同級生なんですよ。彼女の旦那の誕生日プレゼントを探したくて今日は付き添いです。」
そう言ってBは左側に立つ女性を指さした。
「ほんと久しぶりだね、Mの新店がオープンした時以来だから、かれこれ15年以上は経ってると思うよ。俺の方はこの年で未だに店に立ってるよ。でもそろそろ体がついていかないな。それはそうとBはどう、げんきでやってる?」
私はいつもながらの軽い気持ちでそう聞いてみた。
そこで彼の口から出た言葉に私は驚愕してしまった。なぜなら、私はてっきり彼は元気でその人生を謳歌しているものとばかりに勝手に思っていたからだ。
「実は少し前に大腸がんが見つかって、そこから肺に転移したみたいでもう手が付けられないってことになっていて、そこでもう覚悟を決めて、今緩和治療してるんですよ」
明るくそう言うBに私は返す言葉が見つからなかった。
その後私は彼に何かを言ったのだが、はっきりとは覚えていない、とっさに陳腐な励ましの言葉をいくつか並べたてたにすぎなかったに違いない。
その乱れた波長の中、当初の目的である友人の旦那の誕生日プレゼントは選んでもらえたので良かった。気に入ってもらえるものが見つかってホッとした。それにしても人生の展開は唐突に訪れるものだ。理解しようにも無理がある。
ラインにBから連絡が入ったのは来店してもらった日の翌週だった。
「今月の13日空いてますか。その日仲の良かった数人が集まって食事会やるんですけどどうですか。軽く飲みましょう」
もちろん私は快諾した。
Bが声をかけた男女10人ほどがM君の店へと集合した。Bは至って元気そのものだった。本当に終末癌を患っているのかさえもいぶかしく思われる程にはしゃいでいた。いや、むしろその元気さは自然にさえ思えたから、皆もそれにつられて病気の話などは全く浮上する事は無かった。M君の店でたっぷり酒を飲みそしてうまい料理を堪能した。
次に向かったのはK君の店だった。Bが兄貴と慕う男の店だ。
ここでBは酔いに任せて、店のカウンターに備え付けてあった機材の前に座るとDJプレイを始めた。慣れた様子で80年代を中心な選曲でこの場を瞬時に最高潮にまで盛り上げた。そのDJ機材を操る彼の姿は生き生きとそこに存在しその横顔は自信に満ち溢れていた。現状重病患者のそれは、その姿に微塵も存在しないかのような雰囲気をまとっていた。彼は再び酒をあおり、そして次々と自分の世界をその店内空間にぶちまけうねらせた。まるで80年代ディスコがそこに蘇ってきたかの様だった。そこにいる仲間達は皆笑顔に包まれ、そして熱狂に包まれた。時間に制限はなかった。
あの熱狂からほんの2カ月が過ぎた8月の暑い日だった。
私の携帯がチロンッと微かな着信音を響かせた。見るとMからのメールだった。Mからの昼間のメールは珍しい。そのメールを開いてみると、Bが緊急入院をしたとの知らせだった。 どうした?一緒に食事をし、酒をあおり、大いに楽しんだあの日からたったの2カ月、何か緊急な事態が起きての入院だろうが、あの元気な姿からまだ2カ月しか経っていないこともあり、私はその病状は持ち直してくれるだろうと考えていた。
だがそれは、能天気で無能であまりにも安易な考えだったとしか言えなかった。
Mからの緊急入院を告げるメールがあってから5日ほどたった日、再び届いたMからのメールにはBの命が尽きた事が記されていた。あまりにも急な展開に私はそれを受け入れる事に多少の時間を要した。あの笑顔、よっぽど無理していたんだろうと改めて思った。
Bは54年の人生にさらりとピリオドを打った。平均年齢を考えるとあまりにも早急な旅立ちだった。今から37年前、まだ高校生だったBがよくひとりで店を訪ねてきては、他愛ない会話に時折浮かべた笑顔が蘇る。出で立ち、話し方、仕草、はにかみ、どれひとつとっても昔のその立ち居振る舞いは、先日会った時と寸分の違いもなかった。市内商店街に人が溢れていた90年代の混沌とした世相までもが蘇る。果たしてBは人生を謳歌できていたのだろうか、考えてみれば私はBの歩んできた道の過程など知る由もなかった。
そしてしみじみ考える、今を大事に生きなければならないと。死は必ずそこにある。それを踏まえたうえでもその確定事を曖昧にとらえながらあゆみ、その固く閉ざした扉の奥には覚悟と言うものを持たなければならない。
最後のパーティーに呼んでくれたBに敬意をもって記す。