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第253話 運転免許証とは

数年前になるが、友人が運転免許証を失効してしまった。ただ単にその期限が切れたと言うどこにでも転がっている話だ。仕事に忙殺されていたりなにやら懸命に取り込んでいたり人生の迷路を彷徨っていたりでその大事な期限を忘れてしまっていれば、誰にだって起こりえる身近な話だ。

そもそも運転免許証とは何なのか。お金を払って学校に通い教習を受けて試験に臨み、その試験に合格する事によって車に乗る(許可)免許を受けることが出来る。いわば様々の国家資格のひとつのようなものではないだろうか。

そしてその免許証と言うのは、車を運転するための資格を持っている事の単なる証(あかし)である。その証(あかし)には数年の期限があり、期限の限界が訪れれば切れてしまう前に更新の手続きを取って新しい証(あかし)をもらうのである。

ここからが問題である。

車を運転する資格はすでに国から降りているはずである。他の国家資格案件を考えてみよう。例えば「宅地建物取引主任」。これも国家試験を受けて合格すればその資格が与えられる。言わば、国がその人は「宅地建物取引主任」ですよと認めている訳である。そしてその人には「宅地建物取引主任者証」と言う免許証が交付されるのである。それは運転免許証と同じ立ち位置であり、その事柄についての資格を持っていますと言う証明書と言ったものである。その免許証はどちらも証(あかし)の期限が付いている。ただ大きな違いはその期限を迎えたところにある。「宅地建物主任者証」は単に証明証であり、その期限が切れたとしても、既定の講習を受ければ再交付が可能なのである。もちろん期限が切れている段階では「宅地建物主任者」としての業務は出来ないが、その再交付された時点で再び「宅地建物主任者」としての業務が可能なのである。

片や運転免許証。

すでに「運転者」として国が認めているにもかかわらず、その単なる証(あかし)でしかない「運転免許証」の期限が切れてしまうと、運転者としての資格も失効してしまうのである。これはどう考えてもおかしい、公平性に欠ける制度設定ではないだろうか。

そして失効してしまえば、すでに取得してあったはずの自身の権利を完全に失い、再び最初の一歩である自動車学校から通わなくてはならない。これは理不尽極まりない現状で、またまたとんでもない時間浪費と多大な出費につながってくる。

仮にもしその時期、時間も資金も余裕がなかったら再びの免許取得は不可能となる。

安全性の面では、一定の講習は必要なのだろうが、それを受けることによって再交付してもらえる制度設定は必要不可欠な気がするのは私だけだろうか。

「なんか変~やっぱり」

そんな考えが時折ぼんやりと宙を舞う。

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