ちょうど今頃、2月のとても寒い夜だった。
1978年、19の頃の私は当時学生であり、杉並区の下井草と言う西武新宿線沿線に住んでいた。大きな駅ではなかったが、駅前には小規模な昔ながらの商店が軒を連ねる、とても居心地のよい空間が広がっていた。瓦屋根の銭湯があり使い込まれた暖簾のかかる食堂がありそして人情がそこらここらにしっかりと残っているところだった。
学生生活の傍ら、バイトにもいそしんでいた私は新宿三光町のキャバレーで夜の時間を忙しく過ごしていた。そのバイト先で知り合ったのが、部署の主任と言う立場だった酒井さんと言う年配の方で、その当時で50を超えている方だった。とても気さくな方で、そのおかげもありすぐに職場に慣れることが出来た。数カ月が経ち、その酒井さんと杯をかわそうと言う事となった。ある休日の夕方下井草の駅で落合い、その駅前の小さな居酒屋に入った。熟年離婚の話から現在は3畳一間に住んでいる話に驚かされ、何にも縛られない今の自由な生活をおう歌しているその姿に感銘を受けながらも、また反面「大丈夫なのだろうか?」と心配にもなった。二人で随分と飲んだ。次の店へ行こうとなり、会計を済ませた私達はその店を出た。
外は一面銀世界へと変貌していた。それもこの数時間の間に随分と雪が積もっていた。朝のテレビニュースで、夜は雪になるとの情報は耳にしてはいたものの想像以上の積もり方に正直驚いた。目算だがゆうに10cm以上は積もっている、東京では初めての経験だ。まるで私の生まれた北国のそれではないか。この白の世界に私はなんだか楽しい気分になった。酒井さんはと言えば、まるで珍しいものを目にした驚きと、その寒さに辟易としている様子だった。それもそうだろう、彼は川崎の出身でこんな雪にはなれてはいないのだから。私はその白い世界へと踏み出し、そこに積もる雪を踏みしめてみた。ギュギュっと懐かしい音が足裏に響く。
「痛っ」大きな声がした。振り返ってみるとほろ酔いの酒井さんは雪の上に仰向けに倒れていた。滑ったのだろう、慣れない雪にすってんころりんと転がっていた。
「大丈夫ですか?」私は声をかけた。
「大丈夫じゃねーよ!」と言いながらも酒井さんは大きな声で笑いだした。彼もまた楽しそうだった。都内ではこれくらいの雪でもそうそうお目にかかれるものではない。私は酒井さんの背を抱えて起こし上げ、背に着いた雪を払ってやった。
「マツは雪に練れているかもしれないけど俺なんかは練れてねーからこんなもんさ」酒井さんはそう言うとまた大きな声で笑った。その後も次の店に向かうまでの道すがら、2度程酒井さんは漫画の様に見事に転んでいた。酔っているせいもあるが、歩き方がなってはいなかった。だが、50を過ぎたおっさんに今更何も言うまい。その降り積もる雪に転がる姿もなかなか面白い。
次の店は喫茶店にした。カフェとは違う昔ながらの薄暗い喫茶店である。ビールで乾杯しながら、酒井さんは語りだした。男の子がふたりいると言った。その子供達がまだ小さいうちは夫婦力を合わせて何とかこの大都会の片隅で懸命に家庭を守ってきた。時は経ち、その子供達もいつの間にか成長してその手を離れて行った。男の子だけに、出て行ってからはそうそう家には顔を出さなくなってしまった。それかららしい、夫婦仲に亀裂が入り始めたのは。妻から別れてほしいと言われたのはそれから程なくしてから。新たな人生を歩みたいと懇願された酒井さんは、渋々ながらも承諾するしかなかった。すべてを置いて酒井さんはひとり家を出た。それと同時に転職し今のキャバレーに身を置いた。大きな夢は無いと言った、子供達が元気であればと。手に持ったビールグラスを見つめた後に、そのグラスを口へと運び一気に飲み干した。
「マツ、仕事一緒に頑張ろうな、俺もまだまだ頑張ってみるよ」
酒井さんはそう言ってグラスをテーブルに置いた。
「そうですね、自分もまだバイトしないと生活きついんで頑張りますよ、宜しくお願いします」私は素直にそう言った。
「頼むぞ、じゃあ俺はそろそろ帰るよ」唐突に酒井さんは言った。
「えっ、もう帰るんですか、未だ10時を少し過ぎたくらいじゃないですか」
午前様で飲み明かすつもりでいた私はすっかりと面食った。
「マツごめん、俺の住んでる幡ヶ谷で炉端焼き屋をやってる友人がいるんだけど、そいつのところでこの後集会があるんだよ。知ってる?高橋真梨子、彼女の幡ヶ谷後援会長でもあるそいつのところで親睦会、招待されちゃって、これからちょっと顔を出さなくちゃなんだよ、ごめんな、また飲もうな」
そう言うと酒井さんは一銭のお金も払わずにそそくさとこの店を出て行った。前の居酒屋分も年下の私が支払いしていた。
下井草の駅に着くまでに、きっと酒井さんはまた2回くらいはすっころんでいる事だろうと思った。それを想像するとなんだかおもしろい。そして、ユニークであったかい人だ。
この店の会計も済ませた私は店を出た。雪は深々と街を覆っていた。東京の雪もいいものだ、私はその積もった雪を踏みしめて家路へと着いた。
2月のこんな寒い雪の日、時に思い出す。
あれから46年が経過する。当時50はゆうに過ぎていた酒井さんが今でも元気ならたぶん100前後の年になっているだろう。元気で今でもひとりで頑張っているのだろうか。あの黒ぶち眼鏡を揺らして笑う彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。