基本的には、季節を問わずに早朝の運動は欠かさない。
メインはランニングなのだが時折ウォーキングもある。そのあとは軽い筋トレで〆る。メニューはそんなところだ。そうなれば毎朝それなりに空腹感が私を満たす。そこでの朝食は、今まではハンバーグに目玉焼きに納豆にサラダを用意し、味噌汁と白飯と言ったなかなかヘビーな食事だ。
ただ近頃、そのパターンは年のせいもあるのだろうが、胃もたれが気になり始めてどうしたものかと考える。栄養を考えてあれこれと少しづつでも食物を足していくと、それだけで大層な量になり、やはり胃には多大な負担がかかってしまう。
そこで考えてみた。
もっとシンプルで、さらりと食えるものはないのかと。
遠い昔、私の家の近所に「きよし食堂」と言うローカルの小さな食堂があった。1960年代から1970年代の話だ。その当時から、かなりの年代を重ねてきているだろうと思われる、すでにたっぷりと古びたたたずまいで、店内には昼間からコップ酒をあおりながらラーメンをすする客なども普通にたむろする、言わばおっちゃん達のいこいの場所でもあった。
その食堂にはラーメンはもちろんチャーハンにかつ丼などと言った一般的なメニューはひと通り揃っていた。私の記憶が正しければ醤油ラーメンは180 円したか?しないか?くらいだったと思う。今のレートからしたらかなりの激安に感じるが、当時の手取りからしたらそれなりの値段であることは間違いないだろう。
そんな数多くのメニューの中に「定食」と言うメニューがあった。「〇〇定食」ではない。
ただ単に「定食」なのである。値段は200円。今でもこの値段だけは鮮明に記憶の中にある。それはなぜか、それは不思議だったからである。通常は「焼肉定食」だったり「野菜炒め定食」であったりとメインのおかずが代名詞となって定食が連なるのだが、ただ単に「定食」なのである。この未知のメニューを目にするたびに、幼い私はいったいこれは何なんだろうといつも考えてしまっていたのである。
数年が経過し私が17の時である。友人Nと久々にこの「きよし食堂」で飯でも食うかと言う事になり、夕方時期に一緒に行ったことがあった。
時間的な事もあり、店内には冷酒をあおるおっちゃん達がたむろっていた。見るからに気のいいおっちゃん達であろう。私とNは、空いていた入り口付近の簡易テーブルの席に座り、カウンター上に横並びする大ぶりのメニューに目をやった。
ここでまたその「定食」なるメニューを久々に目にしたのである。これが気になって気になってしょうがない。今はラーメンのつもりでここに来ていたのだが、私は、思い切ってこの「定食」なるメニューをこの時注文したのである。
どんな料理が出てくるのだろう、注文してからそれとなくKに聞いてみたがわからないと言う。今まで注文したやつを見たことがないと言う。
値段は200円、大げさなものでないことの覚悟はできている。
待つこと5分。Kの注文したラーメンがテーブルへと運ばれてきた。
それから5分、私の「定食」とやらがプラスティック製の茶色のお盆に乗ってやってきた。
期待はしていなかったが、そんな感じだった。大ぶりのどんぶりに卵でとじた味噌汁に白飯、そして小皿に乗った黄色いタクアンが2切、それっきり。そりゃそうだろうと言った感じ。
注文したからにはしょうがない、私はその卵でとじた味噌汁を両手で抱えながらひとすすり。んっ、うまい。私は素直にうまいと思った。どんぶりをテーブルに置いて箸で中の具を探ってみる。玉ねぎの千切りに人参の短冊が数枚、それっきりだ。私はテーブルに設置してあった七味唐辛子をこの味噌汁にふりかけ、またひと口すすってみる。うまい、うまいのである。こんな単純な料理なのだが、濃く深くうまみが凝縮しているのである。白飯を口入れてまたひと口すするともう止まらない、このうまさにぐっと引き込まれてしまっていたのである。結局、「定食」の選択は正解であった。この時、もっと早くにこのメニューを知るべきであったと後悔したことを覚えている。
それを思い出したのはつい最近である。
新しい朝メニューを考えている時に、そういえばあの懐かしい味を再現してみてはどうだろうと思い立ったのである。単純ながら美味いやつ。
早速、私は冷蔵庫にあった玉ねぎを刻み、にんじんは無かったので代わりに豆腐を入れてみた。コトコトと煮込んで玉ねぎが十分に煮えたあたりに卵をカシャカシャして回しいれる。最後に出し入りのみそを加える。うん、いい塩梅だ。見た目はあの時のままだ。お椀に移して七味を5振り。白飯の上には出汁たっぷりの小粒納豆。これで完璧ではないか。
これらをお盆でテーブルに運ぶ。
どれどれと、ひと口すする。
素朴な味が口内を満たす。うまい、やっぱりうまいのである。野菜もたんぱく質もしっかりと取れるし朝にはもってこいではないか。それに今回初合わせの納豆飯には、また抜群に合うではないか。
温故知新、あの頃の記憶とともにこれは私の大事な朝の食のひとつとなった。
「きよし食堂」は1980年代中期には、人知れず静かにその姿を消してしまったのである。