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第241話 お盆

まるで熱帯地方へと変わってしまったのかと思わせるような太陽ギラギラ灼熱地獄のなか、今年もまたお盆がやってくる。そんな身も心も溶けてしまいそうな陽炎揺れる日中、私の携帯電話が涼し顔で着信を知らせた。携帯電話の画面を覗くと、幼馴染のHからであった。

「おお、どうした久しぶりじゃないか」

15年ぶりか、懐かしさのあまり私は日本特有のもしもしを言い忘れていた。

「おお、久しぶり元気か、ところで今年のお盆は実家に帰るからさ、帰ったら会わないか」

お互い随分と年を取ってしまってはいたが、Hの声は若い頃と遜色のないものに聞こえた。

「実はさ、昨年親父が亡くなったんだよ。それで今年のお盆は1周忌と言う事で実家に兄弟みんな集まるんだ12日。お前も顔出してくれよ。一緒に飲もうよ」

Hの親父が亡くなった、私はこの電話で初めて知った事実だった。ショックだった。Hの親父は本当にやさしい人だった。会えばいつも「隆悦君、よく来たね」と優しい目をして私を家へと迎え入れてくれたものだった。今でもその笑顔と声は私の記憶の中に刻みこまれていて忘れてはいない。

家業の大工仕事で彼は3人の男兄弟を育て上げた。Hの母親は随分と若い頃に亡くなっていた。私の記憶の中で思い返すなら、今からゆうに40年以上も前の話ではあるまいか。それこそそこから男手ひとつで皆を立派に育て上げた。そして今ではそれぞれが家庭を持ち自立している。数年前に大工の仕事の方は引退したと言う事はHに聞いて知っていた。

「それは知らなかった。」

「去年、葬式は親戚だけ集まって内輪でやったんだよ。親戚って言ってももうそれ程多くはないからな。ほんと少人数で済ませたんだ。だからお前にも知らせなかった。だからって訳じゃないけど、今回は久しぶりにお前と飲みたいなーなんて思ってさ。」

「分かった、もちろん顔出すよ。親父さんにも挨拶しないとな、若い頃随分と世話になったし。12日は夕方くらいに行くよ。」

そんな、懐かしくもありまた寂しくもある電話だった。

その3兄弟はスキーがとてもうまかった。学生の頃は皆スキー部でそれこそ県大会から全国大会までにエントリーするほどの選手と言ってよかった。親父さんはその大会ごとにそれぞれを車で送って行ってはビデオ撮影をして、その時のレースを記録し、そしてそれを皆で見ながらミーティングをしている様子を私は何度も垣間見た事を思い出す。

傍から見ていてしっかりと家族だった。

時は残酷でもある。早くに亡くなったHの母親の事も私はよく知っている。その母親を中心に楽しそうに皆が集うその家族の美しい日常の景色は遠い昔、すでにない。

しかし今は、兄弟それぞれの家庭がその美しい景色を受け継いでいるに違いない。そう思う事が私にとっての慰めである。

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