Column

第246話 意を決する

かつてから少なからず疑問に持っていることがある。

それは毎年の胃の検診、バリウム検査である。

もちろん私は医者ではないが、一般人ながらにこんな雑な検査で胃癌等の早期発見が出来るのであろうか?と言う事だ。バリウムなるとろみのついた液体を飲み込んでその影をレントゲンで映す。確かに、映り具合によっては些細な突起物をも発見できる可能性はあるかもしれないが、なんだか曖昧な気がしてならない。それでも、検診と言うカリキュラムに強引に組み込まれている状態なので受けざる負えないのが現状である。

この検査がまたひどく苦しいのである。ゲップはするな、右に回れ左に回れのやいのやいのなのである。60代の私にとってもこの一連の動作に四苦八苦するのだが、ましてや70代80代の人達にとっては無理難題と言っても過言ではないように思う。

毎年、そんな検査を覚悟を決めて受けてきたものだ。その苦しいひと時を何とかやり過ごせばあとは楽になると思うからだ。幸いなことに、私は軟便体質なのでその飲み込んだバリウムが腸内で固まることもなく難なくトイレで流せることも検査を受けてきた要因のひとつだろう。それだから、検査のたびにもらう下剤は一度も飲んだことがない。

そんな試練の検診が今年もまたやってきた。私は決められた順番に検査を遂行した。もちろんバリウム検査も何とかクリアーすることが出来た。何度やっても嫌になる。

いつもならバリウム検査後1時間くらいで便意を感じそのままトイレに直行するのだが、今回はそれがなかった。まぁ大したことではない。私はそのまま仕事をし、そして終え家へと帰る。夜便意を感じる事はほぼ無いのでそのまま就寝時間には床に就いた。

朝である。朝食をとって数分後その便意がやってきた。いつもの事だ。私はトイレへと向かいそして用を足した。いつもの事だ。ただ違うのは便が白い、と言う事だけだ。

そのまま水で流す。

暫くして、リビングで寛いでいる私に尿意が湧いてきた。もちろんトイレへと足を運ぶ。トイレの上蓋を開けたとき、少しの違和感を感じた。トイレの底あたりになんだが白い物体が沈んでいるのである。なんだろう?そう思った私は先に水を流してみた。水はごうごうと流れたのだが、その物体はしっかりとそこに鎮座したままであった。なんだこれは、まさか、これがうわさに聞いたことのあるバリウムの塊か、流れないのか、それはまずい。どうしよう、しばし私は考えた。無理に流せばもしかすれば管が詰まってしまうかもしれない。そうなったら大変なことになる。私はそのバリウムの塊を掬い取ることにした。

スーパーの買い物袋を2重にして用意した。これなら箸で取れるかもしれないと、捨ててもいい割りばしも用意した。その割りばしをその白い物体に差し込む。ヌルっと入っていく。持ち上げようとしてみたがそのままヌルっと抜けてしました。その行為がまずかった。今まで透明だった水がその行為によって乳白色に濁ってしまったのである。まずいまずまったく見えなくなってしまった。どうしよう。そうか、スプーンか、スプーンですくう事にしよう。まさか食事に使う金属製のスプーンを使う事は出来ないので、以前コンビニでもらった白いプラスチック製のチープな奴を使う事にした。スプーンの形状なら濁って見えなくなっててもそのあたりをすくって物をすくい取れるかもしれない。私はそのプラスチックスプーンを右手に持ってその物体の潜むあたりに差し込む。感覚的にその物体に触れているのが指先に伝わってくる。さらに差し込む。大物の物体があるのがさらにわかる。すくう事に集中してしまっていた。ふと気が付くと明らかに私の右手の指先はその乳白色に濁った水の中にあった。えっ、ちょっとまずい、この水は乳白色ではあるのだが、間違いなくうんちが溶け込んだ水なのである。やっちまった、どうしよう。覚悟を決めてこのままやっちまうか。いや待て、いくら何でもそれはやばいだろ。しばし体が固まった。落ち着け。

私は冷静に対処することにした。

左手に持っているスーパーの買い物袋を便器に接近させ、その袋の中に右手に持っているずぶ濡れのスプーンとそのうんち水につかった右手を突っ込み、そして出直すことにしたのである。その冷静な判断が功を奏し、この後しっかりとビニール手袋を装着した私はこの困難だったプロジェクトを大成功へと導いたのであった、めでたしめでたし。

この後、私はしばし考えを巡らせた。もしかすればこれから検診のたびにこの難題な作業が待っているのかもしれない。それには到底耐えられそうにない。そこで親しい人たちにこのバリウム検査について聞いてみる事にした。そこで驚愕の事実を知るのである。聞く人聞く人、ほとんどバリウム検査を拒否っているのである。その検査は必ず検査項目に組み込まれているので、受付時に拒否するとの回答であった。素直に受けていた私は本当にびっくりとしてしまったのである。なんてこった、である。

私ももう止めとこう、それらの情報を耳にしてそう決断した2025年新年の決意であった。

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