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第83話  御客人

 
   

この方はいったいいくつになるのだろう?
聞ける立場に無い私は心密かにそう思った。
それは社会人として初めて就職した会社での出来事だった。
決して大きな会社とは言えなかったが、1980年9月のまったく冴えない景気の最中、働く場所にありつけただけでも幸せ者であった。
「おいおい君、お客様を御自宅まで送っていってくれないか。」
社長室から顔を出した身長150㎝足らずの小振りな社長が私に向かって言った。
「あっはい、解りました」
私はその方の自宅を知る由も無かったが二つ返事で答えた。
その方はRさんと言った。
Rさんは見るからに、絵に書いたおじいちゃんそのものであった。
常に杖を携え、その杖をたよりにとぼとぼと前へ前へと進む。腰を屈みやや上半身は前傾気味に身構え、その歩はゼンマイ仕掛けの人形の様に小 刻みに振れる。取分け彼は目が悪かった。確か緑内障を患い一度手術も受けたと小耳にはさんだ事がる。分厚いレンズの黒ブチメガネをかけてはいるのだがそれが果たして効果があるのかどうかは疑問だ。
社長室から出て来たRさんの手を取り、私は玄関先へと彼を導いた。
その玄関で彼に靴を履いてもらい、仕事で使用している白いタウンエースの助手席へと彼の腰を軽く押して座らせた。事務の女性から目的地の簡単な地図を書いてもらっていたのでだいたいの見当は付く。
「さあっ行きましょうか」
私は社屋1階の駐車場から大きくハンドルを左へと切って本線へと車を滑らせた。どうやらこの時間、道路の渋滞は避けられそうだ。
「悪いね、家まで送ってもらう事になって」
彼はその見え難いだろう目をなおいっそう細めながら私の方に顔を向けて言った。
「いえいえ大丈夫ですよ、この時間は大概ひまなんでなんの問題もありませんよ」
私はそう言って彼に笑いかけた。多分その笑顔も見えてはいないだろう。
そうこうしてしばらく走っていると彼はごそごそとポケットをまさぐり出し何かを探し始めた。ジャケットの両ポケットには目的のものはなかったようで、今度は内ポケットに右手を滑らせた。
その手がジャケットの内側から露出した時、黄土色のパッケージに包まれたタバコが握られているのが見えた。
それはエコーだった。
「タバゴ吸ってもいいが?」
彼はそう言うと私の返事を待つでもなくそのパッケージから1本のタバコを取り出して口もとへと運んだ。
「はい、いいですよどうぞ」
私はそう言って車のダッシュボードの中央部分に設置してある灰皿のフタを開けてやった。
「Rさん、前ですよ、目の前に灰皿を出してありますからそちらでタバコを消して下さいね」
「おう、そうかそうか、はいはいありがとう」
彼は左手の人指し指と中指、そして親指の3本を使って口元に固定されたタバコに右手に持った百円ライターで火をつけた。
永続的経験がそうさせるのだろう、この時ばかりは全く目の悪さを感じさせない、まるでぶれのないタバコへの点火であった。
そして大きくひとつ息を吸い込み、ひと呼吸おいてから、今度はすーっと大きく白い息を吐き出した。車内の空気は瞬く間に乳白色ににごり始め、いやな臭いが立ち篭めた。私自身もタバコを吸うのだが人の副流煙を共有するのは苦手だ。
(2000年頃には私はタバコを止めた)
だが仕方が無い、ここは我慢のしどころだ。なんせ社長の友人であり、会社にとっての大事なお客様でもあるらしい。
前方を見据えて気を紛らわしながら、私は運転席側の窓を5センチ程そっと開けた。
それにしても気持良さそうにタバコを吸う人だ。煙が口先から細い線となり吹き出た時の恍惚とした表情が深い。その横顔はあまりにも哲学的だ。
渦巻く白煙に少し息苦しくなって来た私は、窓の開きを10センチ程に広げた。
タバコは半分程吸われ、彼の右手の指先で灰がいまにも崩れ落ちそうな歯がゆい姿でしがみついているのが横目にちらりと見えた。
私は彼の目の前に灰皿の口をぽっかりと開けて待機させてあるから、車内に散らばる心配は無いだろう。
私は次の角を右折する為にやや車の速度を落とし、その交差点の中央付近にある停止位置に車を止めた。対向車が1台通り過ぎた後、私は再びアクセルを踏み込みその交差点を抜けた。
そしてさらにアクセルを深く踏み込んだ時だった。
かつて感じた事の無い得体の知れない痛さ、熱さ、冷たさ、これらをひっくるめた激しい衝撃が股間に走った。
とてもこのまま我慢出来る類のものでは無い事はすぐに理解出来た。私はハンドルを両手でにぎったままさりげなくそのあたりに目をやった。するとそこにはまるで隕石のように赤黒く燃えたぎる小さな塊がひとつ、白煙を発しながらプルプルと震えている。
これは、これは奴のたばこの火種ではないか。
「うわぁおー!」
軽い叫びと同時に私はブレーキに右足をかけていっきに踏み込んだ。
車は大きく前方にゆれながらタイヤが聞き慣れない悲鳴をあげて、こんもりと盛り上がった路肩に左側の車輪を乗り上げ、そして止まった。
私は間髪入れずに両手をハンドルからはずし、まだまだ大事な股間あたりをバタバタとはたき回した。火種は細かく砕け黒い塵となって飛散した。真新しいパンツには小さな穴がぽっかりと口をあけていた。 助手席にいる彼は一瞬前のめりにはなったもののすぐにシートベルトにその身を守られどうやら無事の様子だ。正直それにはほっとした、が、私の股間横はヒリヒリズキンズキンとひどく痛む。
「どうした、何か事故か?」
焦点の合っていない眼鏡越しの眼差しでこちら側に顔を向けながら彼が言った。
あんたのタバコのせいじゃないか、と心の奥底で思った。
「いやいや違います違います、事故じゃないです。すいません急ブレーキかけちゃって。大丈夫でしたか?」
「うん大丈夫だ。運転は気をつけないといけないね」
彼は呑気にそう言うとまた右手につまんでいたタバコを口に運んで吸込んだ。
「あれっ消えたかな?」
そう言うと再びライターを手にとり火をつけた。
やれやれ、と私はひとつ息をついた。
結局何も見えていないのだ。
その手元にあるタバコから飛び出した火種が私の股間あたりに不時着した事なんて彼はちっともわかってないのだ。私はその宇宙的とも言える鈍感さに年を重ねた人間としての器の大きさを感じてしまっていた。
彼を無事に自宅まで送りとどけなければならない、私は気を取り直してその家路をひた走った。

その家は直ぐに見つかった。会社からほんの10分とそんなに遠くはなかった。事務の女性から家の外観に関する情報も得ていたので、それとわかる家の玄関さきで車を止めた。
「Rさん、着きましたよ」
「おおっそうか、ありがとう」

そう言うと、彼は、おもむろにタバコを持つ右手を前方に突き出した。そして未だ火種の残るそのタバコをキズひとつないダッシュボード面にぐりぐりとこすりだした。
「えっ!」
私はそのありえない光景に唖然と息を止めた。
あまりに突飛で予測不能な行動に言葉は無い。確かに、火はそのプラスティックの化粧板で完全に消えた。その火を押し付けられて光沢を無くしてしまった部分の、ほんの5センチばかり横に、私がわざわざ開けてあげた灰皿が空虚に佇む。
手の感触で火の消えた事がわかった彼は、その吸い殻をそのまま床へとポトリ落とした。まるで、そのあたり全体が灰皿でもあるように。
走行中、私の股間に火種が落ちたのも、もしかすれば何も考える言なく私のほうに手を伸ばし、トントンと灰を切った結果なのかもしれない。
まるで自由な人だと思った。
常識では語る事の出来ないさりげないこの成り行きに、私は何を言ってやれば良いのだろうと考えたが、凡人の私には残念ながら何も浮ばなかった。
運転席側のドアを開けて外にでた私はそのまま助手席側に回り、そのドアを開けた。
「どもどもありがとう、帰りは気をつけてね」
何事も変わり無く、世界が平和である事が当たり前のように彼は言った。
「いえいえ、どういたしまして、また寄って下さい。」

そう言いながら、私はパンツに空いた小さな穴からひんやりとした秋の気配を感じた。どうやら日も傾き気温が下がって来たせいかもしれない。
車に戻るとやはりダッシュボードにはくっきりとタバコを揉み消した痕跡が残っていた。私はその醜く歪んだ跡を拭こうとは思わなかった。
彼の年は・・・・・もうどうでもよかった。
ひりひりと痛む小さな火傷を股間横に感じながら、私はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 
   
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