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第78話  1978年の片隅で

 
   
金曜日の夜だった。
ビックショーと銘打った週末のイベント。ビッグキャバレーの円形ステージでは「魅せら
れて」が大ヒット中のジュディ・オングが、あの純白のロングドレスを身にまとい観客を
魅了している。美しいかぎりだ。まさにヒットチャートトップの座に君臨し続けている旬
のステージだ。ホール内は大いに盛り上がり、酒が進む。その艶やかなジュディ・オング
と脳天気で陽気な酔客、そして色とりどりの衣装に身を包んだホステス達の狭間で、私は
額に汗を滲ませながら両手いっぱいのビールを運んでいた。運んでも運んでも次から次へ
と注文が入る。立ち見も出る程の盛況振りだ。板長は生ビールの追加注文をサブに促して
いた。

1970年代後半、高度成長期の中の日本は何もかもがうまく回っていた。新宿の街も御
多分にもれず高価な洋服を身にまとった人々で溢れ返り、夜ともなればまたひと味違う人
種が高価な車で乗り付ける。昼間と変わらない位に明るくきらびやかな繁華街の中心へと
それぞれが吸い込まれて行く。どこの店もどんな店も隙間があれば人が入る、そんなざわ
ざわと騒がしく忙しい時代であった。浮かれ切ったこんな世話しない世の中の一端で、学
生だった私はひっそりと静かに暮らしていた。親からの仕送りなどは直ぐに底をつき、空
腹のなかで日々を重ねていた。目的もなくふらふらと裏道を歩いている時に見つけたホー
ル係募集のはり紙。空虚な夜の時間を埋めるために、私はそれに飛びついた。

ホールは巨大な擂鉢状に形作られ、底の部分は直径10メートルはある円形のダンススペ
ースとなっていた。客席は上部から中段にかけて4人掛けのボックス席の列が円に沿う形
で4段程連なり、下部のダンススペースに近い部分には8人掛けの大きなボックス席が4
席連なっていた。全ての客がステージを見渡たす事の出来る、まるで小さなコロシアムの
ような作りとなっていた。正面の一角は一段高いステージとなっていて8人編成の生バン
ドが常駐していた。さらにそのステージの下部には迫り出しのステージが納められていて
、こんなビックゲストの時はそれを迫り出してショーのメインステージとするのであった
。そしてたった今、その迫り出した中央のステージ上ではジュディ・オングがきらびやか
なスポットライトを浴びているのである。
店内がそんな盛り上がりをみせている中、新しい4名の客が下部にある8人掛けの席へと
着いた。早速私は4名分のビールとお絞り、そしてチャームとグラスのセットを持ってそ
の席へと向かった。内要としてビンビール4本にお絞り4枚、乾きもの数種を盛り込んだ
小さなカゴ4個にビールグラスを8個。ビールグラスが8個と多いのは、その席に着いた
ホステスの分も入るからだ。これだけトレーに乗せればそれはまあまあの重量となる。ま
だ入店したての若僧である私にとってはなかなかの手強い量である。トレーを持つ左手は
カタカタと微妙に震え、上に乗っているグラスはカチャカチャと小さな異音をたてた。
仮に躓いたとしてもこれらを落としてはいけない。それこそ入店した初日、私は料理を間
違えて違う席に運んだ事があった。この時、板長の怒りは凄まじいものであった。高倉健
似の板長は小さなミスをもゆるさなかった。ミスした者には誰にでも容赦なく睨みをきか
せ、そして激しく罵倒した。恐怖、と言ってよかった。
そんな事もあり、私は迫りくる瞬間瞬間に集中し通路を前へ前へと進んだ。
一歩一歩、ダンススペースの側にあるそのボックス席へと近付いて行く。そのひとつ手前
のボックス席の前を通り過ぎようとした時だった。その席に座っていた年配の男性客が突
然立ち上がった。全く予期せぬ出来事であった。同時に、私の持つトレーにその肩が触れ
た。私は態勢を整える事もままならず、もっていた全てをその場にばらまく事となった。
ビールビンは物の見事に粉々に割れ中のビールは白く吹き出した。8個のグラスは小さな
無数の破片となってあたりに飛散した。
「なんだおまえは・・・」
男は激しい口調で私に向かって怒鳴り出した。まるで私の全てが悪いみたいに。理不尽な
この展開に、私とて黙っている訳にはいかなかった。なぜならこのまま引き下がっていて
は、あの板長から、あの魔王から、どんな責め苦を与えられるか知れない。下手すればこ
れが理由で首になってしまうかもしれなかった。
「なんすかそれ、あなたの方からぶつかって来たんじゃありませんか」
それでも私はまだ理性を保っていた。
「うるせーっ、こっちは美香が来なくてずっと待ってんだよ。えっ、指名してるのに来ね
ーじゃねーか。どうなってんだよまったくよ」
そう言うと同時に、あろう事か、しゃがみ込んでいた私の頭部にその握りこぶしを降り下
ろした。
ゴキッ!
鈍い音がして、私の頭の中に白い稲妻が走った。
「痛てっ、なにすんだよお前」
すかさず立ち上がり、私はその男の肩を突いてやった。
「なんだお前、客に向かって手出すつもりかこの野郎」
奴はかなり酔っていた。酔っている分手がつけられない方向に向かっていた。
一触即発の危機が私の目の前に下りて来た。
パチコーーーーーーーン!
突如、軽快な音が私の耳に響いた。
その音は、その荒れ狂う男のホッペタを平手で打った音だった。男は、うっと小さな声を
ひとつ発し、そのホホを両手で押さえてしゃがみ込んでしまった。
それは美香だった。
年の頃は50才をゆうに過ぎていると思われた。化粧っけもなく花柄のロングドレスもさ
ほど似合ってはいない。顔立ちはと言えばだんごっ鼻に一重まぶた、ひいき目に見ても美
人とは程遠い。男勝りのからりとした性格で口はかなり悪い。それは相手を傷つけるとい
った類いのものではなく、ダメなものはダメだときっぱりと撥ね付ける強さだ。人情にも
とことん厚い女性で他のホステス達からも人望がある。そしてなによりも、ここに登録し
ているホステス200人超の中のNo.1であった。
「あんた何バカやってんの。若いあんちゃん困ってるじゃないか。ほれ、もう座りなさい
よ。あんたそれでも弁護士でしょ。よしなさいよ、みっともない。酔うとすぐこうなんだ
から。」
さっきまで眉間に皺を寄せて私を睨んでいたその男は見る見る小さくしゅんとなり、素直
にその席へと座り直した。
「あんたは新しい子だね。ごめんね、この壊した分は私がもつから早く掃除してちょうだ
い。板長にも私から言っておくから、早くしてね」
美香は私に向かってそう言うと、その男の隣に座り再び説教が始まった。
出来る事なら、私はこのまま美香と一緒に板長の所に行ってこの事故の説明を、美香自身
にして欲しかった。ぜひともそうして欲しかった。が、それを言い出すチャンスは私には
与えられなかった。仕方が無いのでひとり調理場に戻り、あの鬼の様な板長に一部始終説
明する事となった。死んだ振りでもしたい気分だった、が、覚悟を決めなくてはいけない
。小さくひとつガッツポーズを決めた私は、清掃用具と新しいセットをもらいに調理場と
いう最前戦へと向かった。
案の定、物凄い形相と怒号が私を直撃した。私は貧血気味に気が遠くなった。だが、私の
決死的説明が功を奏しなんとか事なきを得る事が出来た。
未だすすむ道がはっきりと見えない、さすらう私なのであった。

大学在学中の若い女性から着々と年令を重ねて来た女性まで数多くの女性達がホステスと
してこの店に在籍していた。ただ、数少ないトップクラスの女性達は美貌といった外見的
なものよりも、大きな包容力といった内面的な奥行きを持ち得ていた。ここに足を運ぶ多
くの客達は、日進月歩進化し続けるこの国のこの激動の中でぐるぐるともみくちゃにされ
、そして疲れ果てていた。
皆甘えたいのだ。その大きな乳房にどっぷりと首まで浸かって甘えたいのだ。その淀んだ
気を癒されたいのだ。荒み切った心のシミを綺麗さっぱりと洗い流したいのだ。気がつけ
ば、あのジュディ・オングの透き通った歌声は彼等の単なるBGMでしかなくなっていた
。ここはお偉い肩書きを背負った連中の、唯一心の解放が許された場所なのだ。
私はとろりと人間臭いこの夜の世界でたくさんの人々と触れ合った。
ホール係の酒井主任、年は55才。子供が二人いたが離婚し今は3畳ひと間に暮らしてい
た。部屋は暗かったが、性格は明るく前向きな人だった。熱海への社員旅行があった時、
露天風呂で女湯をのぞきに5メートルもある岩壁を登り途中4メートルあたりで足を滑ら
せ滑落、暫くの間松葉杖の生活を送っていた。岩壁にへばりつく全裸の彼の年老いた背中
と臀部が今でも物悲しく浮ぶ。
あの鬼の様な板長の下にいた杉山サブ。秋田出身だった。正月、列車のチケットを取り損
ねた彼は、夜行列車で八戸に帰る私のB寝台に潜り込みまんまと里帰りに成功していた。
日本酒の好きな男で、盛岡に着いた時もまだひとり酒をあおっていた。年明け、真っ赤に
酒焼けした顔で再会した。
同い年の有は九州の小倉出身だった。住んでいる所は奇跡的に一緒で西武線沿線の下井草
だった。よく一緒に新宿の夜を飲み歩いた。ある時私達は小柄な男ひとりに絡まれた。こ
の街ではいつもの事なのでほっといたのだが、今回はしつこい。ちょっと小突いてやって
気が着いた。奴の後方には30人程の愚連隊が陣どっていた。奴らは私達がこの小柄な男
を小突いた事を確認するといっせいに私達目掛けて駆けて来た。この状況は間違いなく生
死に関わる。私達は一度見つめあい、うんと言う合図と共に必死に駆け出した。一目散に
駆け続けた。息も絶え絶え全力を出しきりかろうじて逃げ切った。この時、私達はかのカ
ールルイスよりも早く走れていたに違い無いと思った。
古賀次長は、体重120キロはある巨漢で熊本出身だった。新宿にある熊本料理の店で私
は初めて彼に芋焼酎を飲まされた。飲め飲めと、ややぬるめのお湯割りをしこたま飲まさ
れた。当然のごとく、私はその場でノックアウトされた。あの立ち上る臭いにやられた。
あの日が最初で最後、二度と芋焼酎を口にする事は無かった。
柳沢次長は長野県小諸の出身で30才になったばかりだった。地元からカワサキのバイク
を持って来たいから一緒に着いて来いと言われ、あずさ2号で長野まで小さな旅した。彼
の実家に1泊し、翌日タンデムで東京まで帰った。国士舘大学の応援団出身で規律に関し
ては厳しかったが、お洒落で粋で男気のある男だった。その次長の彼女はエリと言った。
エリは19才のホステスだったが、なかなか笑わない女性だった。いつも切れ長の鋭い目
で人を威嚇する様に睨み付けた。しかしいちど近しくなると違った。見た目の冷たさとは
裏腹に料理上手で家庭的な女性だった。サザンの「愛しのエリー」がちょうど流行ってい
た頃でよくエリもカラオケで歌っていたのを覚えている。

ホステスの順は和歌山出身で50才に近い位置にあった。売れっ子ではなかったが心根の
優しい面倒みの良い女性だった。まつ毛はジッポーが乗る程頑丈にこしらえていて、痩せ
ぎすで背が高く猫背が印象的だった。その順の彼はター坊と言って、30才を少しばかり
過ぎたあたりでなかなかの男前だった。スクールメイツ出身で歌が上手く芸能界にも多く
の友人がいた。話し方は中性的でどちらかと言えばお杉風だった。彼は西新宿に6坪程の
小さなスナックを持っていて、私達は店が終わると毎晩の様にその店に入り浸り、ダーク
チープな夜を楽しんだ。フリーの客などが入る余地はなく全てがうらぶれた常連客で埋め
られていた。
ホステスの茜は既に30才になっていた。私の下に新人で入って来た勝野と言う19才の
日大生と恋に落ちた。茜はその年令から結婚は視野に入っていた。静岡の実家では結婚に
猛反対だと言っていた勝野だったが、大学を中途で辞めて一緒に住むようになった。彼が
大学を辞めるのと同時に茜もこの店を辞めて昼の仕事についた。ホステスが天職と言って
いい程器量持ちの女性だったが、思いっきりもいいものだ。
ホステスのマリはこの店でNo.2だった。No.1の美香よりも若く才能のある女性だ
った。給料は美香と同じく数百万円と言う高額なものだった。しかし彼女はそれだけでは
終わらなかった。彼女はこのホステス稼業のほかに歌舞伎町に2件のスナックを持ってい
た。ここのクラブの営業時間は11時で終終了、この後、全ての指名客をその店へと流し
た。彼女の実質的な収入はとんでもない額であった。
姫は札幌から流れてきた女性だった。付き合った男が殴る男だったらしい。毎晩のように
殴られ続けた姫はとうとう逃げ出した。身の回りのわずかな持ち物だけを小さなカバンに
詰めこんだ。雪降る北の街を走る列車に飛び乗り、この新宿に流れ着いた。暗い影を瞳に
かかえた笑顔の少ない女性だった。2ヵ月もこの店にいただろうか、新しい男が見つかり
直ぐにここを出ていった。
雪絵は40才を向かえそろそろ真剣に結婚を考えていた。雪絵は若い時分福島から出て来
ていた。そろそろおばちゃんと言ってもおかしくはない素朴な風貌とおっとりとした性格
はこの仕事に向いてはいない事を物語っていた。近々お見合いがあるのだと言っていたが
、それから間もなくこの仕事を辞めてしまった。しばらくしてどこかの田舎で結婚したと
噂で聞いた。相手は例のお見合いの相手だったのかもしれない、と私は思った。
それから2年後、私がたまたま八戸に帰っていた時、あろう事か市民病院の廊下で彼女と
再会した。まったくもっての偶然だった。どこか遠い田舎で結婚した事だけは聞いていた
がまさかここ八戸にいるとは夢にも思わなかった。この時彼女は妊娠していた。当時の華
やかな面影はすでに微塵もない。からだ全体はふたまわり程ふくよかに膨張し顔はひどく
むくんでいる様子だった。妊娠中毒症にかかっていると言っていた。入院していたのだろ
う、病院指定のパジャマ姿に身を包み、そのまま売店内へと姿を消した。彼女とはそれっ
きりとなった。
それぞれが皆この目まぐるしく進化し続ける社会変革の激流の縁で必死に生きていた。ゆ
れ動く世の中の片隅で地べたを這いつくばって懸命に生き抜いていた。何が幸せで何が不
幸せなのか見た目だけでは判断しかねた。ドラッグや酒に溺れる者、借金にまみれる者、
そしてボロ布のように路上に横たわる者、メディアに映る華やかな成功者の影には常にそ
の数百倍数千倍の溢れた人生が交叉していた。
渾沌としたこの時代にあって、女性達はひと味違って見えていた。
女性達の多くは生き方に柔軟で物事の流れの本質を見事に見抜き臨機応変に対処出来てい
た。どんな場面でもどんな環境でもどんな時代でも力強く、また頼もしくも見えていたの
は事実だ。それは延々と受け継がれている女性特有の潜在的能力に違い無い。

それにしても・・時が経ち過ぎた。
これから先、みんなと会う機会はなかなかないかもしれない。いや、おそらくはないだろ
う。みんなが今どういった生き方をしているのかさえ知る術を私は持たない。私の胸の中
にある想いだけが唯一のつながりだ。
その面影達は生き生きとした当時のままの姿でそこにある。

 
   
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