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第77話  パンダの想い

 
   
まだまだ凍てつく2月の頃。
テレビの画面には連合赤軍が立てこもっている浅間山荘が寒々と雪を被った姿で映し出さ
れていた。相次ぐ発砲で負傷した警官がその場から運び出される。リアルタイムでの緊迫
感が13才だった私の胸にずしりと伝わってくる。若かりしジャイアント馬場やアントニ
オ猪木が大活躍をしていた頃、そのゴールデンタイムでボボブラジルやデストロイヤーと
繰り広げられていた計画的熱戦とはやはり重さが違う。今、たった今起きている戦争であ
り惨状なのだ、と、その刺激的リアリズムに釘付けになる。
直径が1メートルもあろうかと思われる巨大な鉄玉がその山荘にぶち込まれた。山荘の壁
は大きな音をたててひび割れて行く。引き上げた鉄玉が再びそこへとぶち込まれて行く。
この行為が何度か続くと、やがて山荘の壁は崩れ、山荘全体の形が歪んで行く。事件発生
から10日後、長かった抗争劇もようやく終止符をうった。各社の報道合戦で映し出され
た一連の光景は今でも鮮明に私の記憶プールをプカプカと漂っている。
この年の夏に行なわれた小学校の文化祭、私達はこの出来事をクラスで劇にして上演した
。私の役は、不運にも銃弾を浴びてしまった警官を、救急車へと運ぶ救急隊員の役だった
。タンカの後方をしっかりと持ち上げる重要な役だ。この劇は文化祭でも上々の評価を得
ていた。

グアム島で横井庄一氏発見・サッポロオリンピック開催・ウォーターゲート事件発覚・ハ
イセイコーデビュー・沖縄返還・佐藤栄作退陣・川端康成死去・田中角栄首相訪中、日中
正常化共同声明、そして永谷園すし太郎発売と、激動の1972年。

私、小学校6年の2学期。
色づいた木々がその美しい彩色を競い出す季節を向かえていた。
「おい、パンダでも見に行こうか」
新聞を手にしていた父が言った。
この年、日中国交正常化を記念し中国からパンダが贈られた。名前は「ランラン」と「カ
ンカン」。初めて見るその愛くるしい姿に日本国中の人々が熱狂したものだ。もちろん年
少の私とて同様、できる事なら一度は実物を見てみたいと思っていた。しかし、そのパン
ダがいるのは上野動物園。遥か彼方、東京である。青森県の片田舎に住む私にとっては直
ぐには手の届く場所にはなかった。そんなあきらめを常とする環境の中、毎日毎日テレビ
に映し出されるその可愛い姿にかじりつき、嬉々としていたものだ。
思いも寄らないその言葉に、私は嬉しかった。
「行く行くぜったいに行く」

妹や弟達はまだ幼過ぎると言う事で私だけが父と二人で東京へ行く事となった。今思えば
、彼等もよっぽど見たかったに違い無い。その当時の私はまだまだ精神的にも未熟であり
、まわりの人間の気持までに考えが及ぶ事はなかった。

特急「はつかり」は混んでいた。
10月のある土曜日の早朝、私達は自由席の車両へと乗り込んでいた。たまたま2人掛け
の席がひとつ開いていたので父と並んで座った。当時の列車の席は向かい合わせになって
いた。今となっては相席した人間の顔など微塵も覚えてはいないが、なんだか窮屈だった
思いだけが残っていた。なぜなら、前の席に座っていた老人は私達の座席の隙間に靴を脱
いだその足を乗せていた。今では考えられない行為だが当時はどの席でもそんなものだっ
た。私は向こう側の座席に足が届かなかったので靴だけを脱いだ。すでに満席の状態であ
った列車は盛岡に到着、ここからまたかなりの人間が乗車して来た。。
私達の乗る自由席は見る見る人で溢れだし通路に新聞紙を敷いて座り込む者が多かった。
こうなればもうトイレには行けない。東京まで約9時間の道程、私は膀胱が歪む程オシッ
コを我慢し、老人の足の刺激臭が私の鼻孔をもてあそぶ苦痛に耐え続けた。
あたりも随分暗くなった夕暮れ時に私達は上野駅へと着いた。
この日は文京区にある父の友人の家へと向い、そしてそこに泊めてもらったと思う。この
あたりの記憶は定かではない。

翌日、早朝に目覚めた私達は、上野動物園の開演前にはチケット売り場付近に着いていた
。私達は十分に余裕をもって出て来たつもりでいた。が、私達の思う余裕とは随分と懸け
離れた次元で、既にたくさんの人々があの広大な広場を埋め尽くしていた。私達は唖然と
立ちすくんでしまった。その間にも次から次から人々の群れが増殖していく。父は迷って
いたのかもしれない。このままこの長蛇の列に並んでしまって良いものかと。
暫くしてようやく決心が着いた様だった。
「よし、並ぶが」
なみなみならぬ決意がうかがえた。そのまま私の手をグイッと引くと列の最後尾へと並ん
だ。先は視界の外にあった。
東京の空は低く熱気を帯びていた。
この果てしない列は、時間が経ってもぴくりとも動かない。開園前と言う事もあったし、
また遥か視界の先ある人々も全く動く気配すらなかった。
昨日、東北地方から出てきたばかりの私達にとって、東京の10月は寒くはなかった。む
しろ暑い。空は真っ青で太陽サンサンときている。ましてやこの人込みの中、大量の汗が
額を滴り落ちる。
父は私に言った。
「おい、あそごの売店に行ってつり紙買ってきてくれ」
「うん、いいよ」
私は素直に答えた。
父がポケットから小銭を取り出して私の手に握らせた。
「いいが、東京ではつり紙(チリカミ)の事はつり紙(チリシ)って言うんだぞ。いいが
、あのおねえちゃんどごに行ったら、ツリシ下さいって言うんだぞ、わがったが」
「うん」
私は解っていた。ツリシでは到底通じない事を。テレビの復旧に共ない私達世代の子供達
は共通語にも接する機会に恵まれていて、ある程度の言葉使いは理解していたつもりだ。
それでも、ちりかみをちりしと言う使い方は初めてだった。なんだか上品な都会的言い回
しに聞こえた。
私はその売店へと向いそして言った。
「ちりし下さい」
「えっ何?ちりし・・・」
おねえちゃんはいぶかしそうに私を覗いた。
「鼻かむやつ」
私は機転をきかせてジェスチャーまで添えた。
「ああ、ちりかみね、はい、どうぞ」
当時はポケットティッシュなどあるはずもなく、透明なビニール袋に入った20センチ四
方でやや厚みのある束を私に渡してくれた。
結局、チリカミで通じた。この事は父には言わなかった。

それから少しの時間が流れ、人の群れも流れ出した。
1歩ずつ。
1歩1歩、また1歩といった具合に。
私にとってこの状況は、まるで縁日の中にいる様なものだった。手を引かれて人込みのな
かをのろのろと歩く。まわりに露店の列がないだけで、その熱気はなんにも変わらない。
いやそれ以上にパンダに会えると言う高揚感に、全体が熱く包まれているようでもあった
。私の手から受け取ったちり紙で額や首筋を軽く拭きながら父は一歩一歩前の人の後を着
いて進む。私はその後に続いて進む。先の見えない万里の長城を闊歩する旅人のようなも
のだ。ふらふらふらふらと漂う陽炎になったみたいだ。最初はあれこれと父との会話も続
いていたのだが、いつからだろう、ぱったりと会話もなくなっていた。ぞろぞろぞろぞろ
と歩いては止まり、また歩く。2時間程も歩んだろうか。
それでも一向に先は見えない。
ちょうどそのタイミングで小さな看板がひとつ淋しそうに立っていた。
(とってもかわいいレッサーパンダはこちら!)
私の目にも入っていたが、当然父の目にも入っていたようだった。
父は私の目を見て、ひとつ息をして言った。
「ダメだなこれは、あっちにもなんか違うパンダがいるらしいがら、あっちのパンダを見
るべ」
父はとうとう諦めたのだ。
あっちにも違うパンダがいると言ったって、絶対に私達の見たいパンダではない事はアホ
だった私にもなんだかわかる。なぜならここに並んでいる人々は誰ひとりとして、その「
レッサーパンダ」なるものに興味を示してはいないし、またそちらに向かって歩いてもい
ない。そこはまったく取り残された存在と言っていいエリアなのであった。
私達は遅々として進まないこの長蛇の列を、このタイミングで後にした。

とても愛らしい仕草でレッサーパンダは私達を向かえてくれた。キラキラと艶やかな毛並
みはゴールドに艶めき、クリッとしたつぶらな瞳は私達の荒んだ心を癒してくれた。この
2頭は夫婦なのかもしれないと思えた。仲良く遊ぶ姿はとても微笑ましく、私達は時を忘
れ長い間それを眺めていた。

「さあ、そろそろ帰るベ!」
父が言った。
「うん」
私が言った。
出口に向いながら一度小さく振り返ると、レッサーパンダはにこりと笑った。

 
   
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