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HOME > COLUMN > 第63話...御恩をつなぐ・それから |
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第63話 御恩をつなぐ・それから |
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「至急連絡されたし。ちち」 早朝、ノーマークだった電報の襲来が深い眠りから私を強引に目覚めさせた。 都内に住む学生の頃、貧困と共に歩んでいた私の部屋には電話機など存在する訳もなく、 時折両親は連絡の手段として電報を利用した。寝ぼけ眼でそれを受け取った私だったが、 瞬時に「何事か」とすっかり眠気も消え失せ心臓はドクドクと高鳴った。側にあったシャ ツを無造作に肩に掛け、なけなしの小銭数枚を握りしめては商店街にある公衆電話へと駆 け出したのである。 受話器の向こう側、懐かしい母の声が私の情動を優しく包んだ、が、すぐに父へと変わっ た。荒い息を押し殺し戦々兢々としている私の耳元で父が軽快に発した。 「明日、上野で飯でも食うか」拍子抜けの言葉に私の腰が抜けた。どうやら明日は仕事で 京都へと向うらしい。途中、昼過ぎには上野に着くので乗換えの空時間に一緒に食事でも しようというものであった。受話器を元へと戻した私は軽い疲労感を覚え、手には30円 だけが残った。それでも内心ほっとしながら部屋へと戻り、再び布団にもぐりこもうとし た時、事の重大さに気がついた。今私が左手に握りしめている10円玉3枚、これが現在 の全財産だということを。アパートのある西部新宿線沿線の下井草から上野まで向かうと なればどう見積もっても手持ちのこれでは到底足りない。この近辺に友人などはいないし 、さぁどうする。 私は棚の引き出しから押し入れ、はたまた流し台の下など片っ端から覗き込んではみたが 案の定無駄骨であった。一円玉が数枚発見できた程度でほぼ絶望的な状況。「 手持ちがないから上野までは行けない」などと口が裂けても言えない。ミジンコ位の小さ なプライドがあったから。私は考えた、考えて考えて考え抜いた。結果、交番へと向かっ た。駅前の交番では、私よりやや年上だろうと思われる青年警官がひとり事務処理に励ん でいた。正直に経緯を話した。「うん、わかった、お金が出来たら返してくれればいいよ 」彼はそう言うと財布から五千円札を一枚抜き取り、私に手渡すとにこりと微笑んだ。お かげで父と落ち合うことが出来た。空高く秋の気配漂う上野の雑踏の中、一緒に中華料理 を堪能した。「ほら、お金ないだろ」別れ際、父は一万円札を一枚私へと差し出した。全 てお見通しの様だ。短い時間を上野で過ごし、父は京都へと旅立った。この時、そのお金 で直ぐに返すべきだった。交番へと出向いたのは十日後、待ちに待った給料を手にした日 だった。すると警官達の顔ぶれは一変していた。勤務地の大移動があったと言う。私は彼 の名前を知らないので特徴を話してみたが解らず仕舞い。お金の出し入れも帳簿に記載は 無いと言う。「その警官は君に個人的にお金を出してくれたんじゃないのかな」ひとりの 老警官が言った。帰り道、ありがたさで心が震え、後悔の念で体が震えた。長い年月が過 ぎ去りもはや彼に会う事は叶わないが、その優しさだけは次世代へとつながなくてはいけ ない。 (ここまではデーリー東北新聞「ふみづくえ」に登載済み)
それから・・・・・・
「ちょっとちょっと・・・」
「さあ着いたぞ。これでバス代も浮いたし電車も直ぐに来ると思うよ」
約束の日がやってきたが、やはり彼は姿を表す事はなかった。
しかし・・・それはそれで良いと思った。
Kの見解はやはり間違えてはいなかった。実は、それは私自身もうすうす感じていたとこ
「それでいいのだ!」
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