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第48話  傍にある無常

 
   
夏の眩しすぎる陽光がすべてにふりそそぐ。
藍かすりの着物に淡い生成りの帯、背すじをシャキリと伸ばし、その陽光を切り捨てるよ うに日傘を翳し、前を見据えてさっそうと歩く。それでもまだ眩しいのか少しだけ目を細 めている。光の乱反射を背にしたその姿は幼かった私の目にも粋に映った。1960年代 後半の若かりし祖母の姿だ。

その祖母は、93才(2008年4月8日)でこの世を去った。
二年間の闘病生活を余韻に、最期は老衰という、心臓が静かに動きを止めた極めて自然な ものであった。
祖母は若くして連合いを亡くし、授かった子供達二人を抱え女手ひとつで頑張ってきた人 だった。余所見をする事もなく真っ直ぐ、そして正しく生きてきた。
幼い時代、私と年子の妹ふたりは、その祖母にあずけられて育った。日本が高度成長過渡 期に突入した時代、両親は仕事におわれていたのだろう、四人兄弟であった私達全員の面 倒をみるのは容易な事では無かったようで、ある程度人格も形成されつつあった上の兄妹 ふたりを祖母にあずけ面倒をみてもらっていたのだ。しかし、まだまだ未熟だった私達は 、その居場所に慣れると、すっかりその祖母を母親だと勘違いして成長していったのであ る。時々母親が私達の様子を見るために訪ねてくるのだが、その母親を頑として母親だと 認めなかったと後になって母親本人に笑い話として聞いた事がある。そう言う訳で、一般 的な家庭の中に存在する祖母の位置関係とは若干異なる。
その祖母は朝から晩まですこぶる元気なひとでこれまた一本気、まさに男勝りの性格だっ た。私の小銭拝借事件が発覚した時などは、井戸まで引きずられて行き裸で正座、反省す るまで頭から井戸水を何杯も何杯もかけられたものだった。
だが、それにも増して優しい人であった。
誕生会には近所の友達をたくさん呼んでくれては、数々の手の込んだ料理と、贅沢品であ るデコレーションケーキを用意してくれた。運動会の昼食にも私達の好物を山のように作 って来ては「これ食ってがんばれ!」といって懸命に応援してくれた。
頭の痛い毎日の宿題には必ずできるまで付き合ってくれていた。

後年、私達が両親と一緒に暮らすようになってからは、祖母は大きな家でひとり暮らした 。最後の最後まで人に頼らずたったひとり生活していた。
余生を生きて行くうえで、案外ひとりが居心地良かったのかもしれない。

祭壇の中央に飾られた祖母の写真の前に妹とふたり座っていた。
にこやかに微笑んだきれいな写真だ。
「そう言えばお兄ちゃん、昔、ブタの鼻に指突っ込んで抜けなくなった事あったよね」
唐突に妹が口にした。
「え、何それ?」
私には全く憶えが無かった。
「忘れたの!あの時おばあさんが慌てて助けてくれたんだよ。あのブタの鼻の穴に、人差 指と中指を思いっきり差し込んだから、ブタは慌てて暴れるは、指は奥まで入って抜けな いわで大変だったんだよ。」
「え〜ほんとかよ〜!」
「おばあさんがお兄ちゃんの腕をがっちり押さえて暴れるブタの鼻の穴から、思いっきり 引っこ抜いて助かったんだから~その指は真っ赤に血だらけで・・・今でもはっきり覚え てるよ」

なんだかふっと笑えた。
どうやら、その記憶の小箱はぴしゃりと蓋を閉じていたようだ。確かに、私達が幼い頃、 家の裏には大きな畑があり、その一角には便所と併設したブタ小屋があった。
そこでそんな事があったのか。そう言われてみればなんとなくそんな事があったような・ ・・気がして来た。ブタの鼻の穴に指を突っ込むなんて前代未聞、妹にとっては想像も付 かない衝撃的な光景だったのだろうからよく覚えていたのだ。それともうひとつ、例の一 酸化炭素中毒事件の事もよく覚えているよ、と思い出しては鼻で笑っていた。
その過去の珍事をきっかけに、ほんの些細な出来事もとくとくと思い出として溢れ出てき た。あまりにも自然にたくさんの面倒をみてもらっていたのだ。その面倒をみてもらう事 を当り前だと思い込んでいた小さな自分がそこにはいた。

対面に座っていた叔母が口を入れた。
大正4年生まれの祖母は、当時としては珍しく女学校に通っていたという。初耳だった、 が、それを聞いて私はなんだかうれしくなった。「はいからさんが通る」の矢がすりの羽 織袴でおてんばな姿が浮んだからだ。男尊女卑の古い時代に教科書を手に学校に通ってい たとは・・・。女性の数は圧倒的に少なかったはずだ。
そういったアクティブな経験があの芯の強さを形成していたのかもしれない。

祖母がひとりで暮らす家に、私は年に数回顔を出していた。しかし、そこにいる時間はほ んの30分程度、あまりにも希薄な時間だ。
「腹へってねえが?」祖母が言う。
「ううん、へってない・・・・・」
「なんか、ジュース飲むが?」祖母が言う。
「ううん、いらない・・・・・・」
「みかんあるぞ!」祖母が言う。
「あっそう、でもいらない・・・・・・」
返答は・・・・そんな・・・・素っ気無い調子だった。
「そろそろ帰る!」
「そうが、うん、ちゃんと気をつけて帰るんだぞ」心配そうに祖母が言う。
私が見えなくなるまで見送ってくれていた。
今思えば、常に話し掛けてくれていた。私に「もう帰る」という言葉を言わせたくはなか ったのかもしれない。気丈なだけに「まだいればいいのに」などと口にした事はなかった 。だが、私が帰り支度を始めるといつも気落ちしたように口にした。
「もう帰るのが!・・・・」
いっそ訪ねていかないで、そっとしといたほうが別れの寂しさをあたえなかったかもしれ ないと今更ながら思えた。
祖母は何が好物だったのか思い返してみる。
何も浮ばない・・・・自分がいた。
祖母自身の趣を何ひとつわかっていなかった事に気付き情けなかった。

初出版のコラム集「グッドオールデイズ」が2008年3月末にできあがった。既に意識 の回復がみられない祖母ではあるが、どうしてもその本を渡してやりたいと思い、4月1 日に休みをとり向かった。
巷ではエイプリルフール。
読む事の不可能な祖母の枕元に、そっと立て掛けて置いた。
それで良かった。
「なんが、変なことでも書いでね~べな~!」
元気だったら必ず口にしただろ~な、となつかしい声が耳の奥をくすぐった。

その7日後だった。
二年間の寝たきり状態を終わりにして、ゆっくりと息を引き取った。

あの家にはもう誰もいない・・・・・。
日が経つにつれ、荒涼の波がじんわりと全身を包み込んでしまいそうになる。
粋な着物姿で日傘を翳した、あの風姿を私は忘れない。
この世に生を受けた瞬間から、死に向かってゆっくりと歩き出す。
この因果な宿命の元に社会が形成されている不条理。
幻の存在価値・・・。
そう・・・みんないつかは死ぬのだ。

たった一度っきりのこの命というひとひらの時を、すべからく全うした祖母のように、私 自身も死の瞬間までしっかりと生きなければいけない!

葬式も終えた数日後、祖母の好物の一品さえもわからなかった盆暗な私は、ならばと、私 自身の好きなコーヒーを片手に、たったひとりその静寂なる墓に参った。

 
   
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