![]() |
||||||
![]() |
![]() |
|||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
HOME > COLUMN > 第41話...「O」という蕎麦処 |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
||||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
第41話 「O」という蕎麦処 |
|||
私がこの地に根を下ろし、かれこれ20年以上も通っている蕎麦屋がある。その蕎麦屋は 屋号を「O」と称し、ここ馬場町のエリア内に最も古くから存在し、それこそ私などは足 元にも及ばない程の老舗中の老舗である。初期の私の店とは目と鼻の先程に位置し、猛ダ ッシュで5秒程の距離であった。 創業は明治40年(1907年)。明治、大正、昭和、そして平成と四つの大きな時代の 変化や、大規模な戦火をも潜り抜けて現存している数少ない名店のひとつである。 初代は小中野と言う港湾に近い地区で創業しており、明治の頃は平成である現在の中心街 とは違って、魚が豊富に取れた事もあり海に近い地域がどうやら栄えていたらしい。創業 当時は蕎麦料理も含んでいたであろうが、格式の高い割烹料理屋から始まったと聞いてい る。こちらの馬場町に移転して来たのが昭和37年(1962年)であり、移転して来て から既に47年が経過している。 と言う事は、創業からだと、なんと丁度(2007年)今年で100年目なのだ。 100周年ばんざ~い!ばんざ~い!ばんざ~い! 一世紀と言う気が遠くなりそうな、さらに考えただけで目眩のしそうな世相が流れ、その 命の蕎麦つゆと共に増々円熟味を増している店なのである。 現在は私と近世代である跡取り息子のSとその奥様が店をしきっているのだが、私がこの 地に出店した当時、Sの上には厳格な蕎麦職人である元レスラーで腕っぷしの強い親方と 直属の愛弟子がいて、そのふたりが中心となり板場を仕切っていたものだ。そのピラミッ トの頂点にはSの父親と母親が大きく存在し組織の根幹を支えていたのである。 店主御夫婦はともにとてもおおらかで笑顔の優しい人達であった。輸入雑貨店を始めたば かりで、まだまだ右も左も解らない若造の私の店を時折御夫婦で訪れては、アンティーク のソファーやオブジェ、その他たくさんの小物を買って頂いたものだった。 現在店を仕切るそのSなのだが、これがまたなかなか味のある面白い男なのだ。料理の腕 は長期間マッチョな例の厳格な親方から鍛えられてきただけあって、堅実で信頼のおける 職人に成長し、蕎麦の旨さは一級品なのである。人間的にはあの温かい両親の穏やかな環 境のせいなのだろう、性格も温厚で人の面倒見もよく、バイクに乗ると片足のつま先しか 地面に着かないがやさしい男なのである。バイクは余計か!
K一号がN県で独立を果たし数年が経過、店を見てくれるスタッフにも恵まれなんとか休
暇の時間をもうけ、ひょっこりと八戸へと遊びに来た事があった。八戸駅への到着時間が
昼時をやや過ぎたあたりであったので「それじゃあ久し振りにOで昼食でも食べよう!」
と言う事になり、たまたま居合わせたO二号と3人で出掛けた事があった。K一号にとっ
ては数年ぶりの懐かしい店構えと馴染んだ独特の臭いなのである。ここにいた頃のK一号
の昼食と言えば、店の側にあった回転寿司のウズラ納豆のテイクアウトか、Oの盛りソバ
であった。
それは休日の午後であった。 私が頻繁に顔を出すもうひとつの理由は、Oにおける全体を和やかに包み込むオーラをも 兼ね備えた雰囲気の良さにある。Sと奥様、そしてS.B.Cと言う飲食店を経営しながら も、ランチの時間を手伝っているSの姉のMとその旦那でミュージシャンのT。皆が非常 に仲良くほのぼのとした空気感の中で一生懸命仕事をしているこの神聖な場所に身を置く と、先程までとんがっていた自分自身の気持ちに落ち着きが戻って来るのが分かるのであ る。それは100年と言う重厚な伝統とその懐の深さ、そして温かい人情がもたらす安ら ぎの空間だからなのだろう。
2006年5月、一ヶ月間の時間を費やし数十年振りに全面改装でリニューアルした
|
||||
![]() |
||||
PAGE TOP ↑ |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
copyright (c) T-bird 2009Allrightsreserved |