![]() |
||||||
![]() |
![]() |
|||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
HOME > COLUMN > 第40話...一家団欒 |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
||||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
第40話 一家団欒 |
|||
私が小学校3年生になった時だった。それまで祖母の家で年子の妹を含む三人で一緒に生 活をしていたのだが、突然、両親そして年の離れた弟二人との同居が決まり、学区は同じ なのだが別町内にある両親の元へと生活の拠点を移した事があった。 私自身この環境の激変には幾許かの戸惑いと計り知れない程の不安が伴った。後に増築し たのだが、両親の家は当時2LDKの戸建てで、当然ではあるが個室を与えてもらえる程 の余裕は無く、いったい何処でくつろげばリラックス出来るのだろうか?はたまた両親や 弟達とどうやってコミュニケーションをとったら良いのだろうか?全く見当も付かずに随 分迷っていたものであった。 当然妹もこの環境に慣れるまでの暫くの間、私の後に隠れてはまごついていたものだ。幼 かった私達兄妹はそれぞれの家庭に存在する目に見えない暗黙の秩序をいち早く学ばなけ ればならなかった。
そんな生活も月日の流れと共に徐々に慣れ、以前の平穏さとまでは行かないまでも、それ
に近い生活サイクルに戻りつつある頃であった。
(おう!今帰えったよ!)と父親は幾重にもパンパンに膨らむ程防寒着を着込み、全身は
まるで雪だるまのごとくに雪で覆われたまま、大きな声で玄関へと入って来たのだ。この
光景は40年経過した今でも脳内スクリーンに映像として鮮明に残っている。 小学生の頃のYは絵の才能において目を見張るものがあり、マンガなどのキャラクターを 描かせたら右に出るものはいなかった。同級生などはよくノートにそれらを描いてもらっ ていたのだが、私は女性のヌードを描いてもらっていた。オッパイのリアルさに加え、腰 のくびれからヒップに掛けてのラインが妙に艶かしく、あまりの芸術性に?ちょっとした 血圧の変化がみられ目の前がクラクラとしたものだ。どうやらその手法は兄から教わった らしい。その後も私の要求は留まる事を知らず、頭の中で考えた数々のポーズを無償で描 いてもらい、その芸術性を高めてもらったのである。これらは私の宝物のひとつになった 事は言うまでもない。 時も経ち、中学に進む頃になると部活に費やす時間や雑務が増え、さらに行動範囲も広域 に及ぶまでになると、Yの家も徐々にではあるが縁遠くなってしまっていた。さらに高校 に進学するに至っては、地区まで全く別になってしまった。そうなれば必然的に全く会う 機会もなくなってしまったのである。交流はこの時点て途絶えたのである。
それから何年会わなかったのだろう。確かお互い24才になった時である。Yがひょっこ
りと我が家を訪ねてきてくれたのだ。指折り数えてみると約8年振りの再開である。 再会からわずかな日が経った。 Yの死を伝える電話が鳴った。 24歳…。
あれからYが生きた季節と同じ24年間が再び過ぎた。
|
||||
![]() |
||||
PAGE TOP ↑ |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
copyright (c) T-bird 2009Allrightsreserved |