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第220話  真っ赤なパンツ

  田舎町ではまだまだジーンズが一般的ではなかった1960年代、小3の私はすでに父親がどこからか買ってきてくれたデニムのラッパズボンを履いていた。この頃私と妹は祖母のところに住んでいて両親とは疎遠といってよかった時代。裾がパタパタとはためくこれを履くのは最初の頃は気恥ずかしかったが、履きなれてくるとこれはこれで何だか心地よく思えてきて、ヘビーローテ―ションするようになっていた。人が履いていないスタイルであることも良かったのかもしれない。
それでもまだまだ小3の小僧、ファッションをそれ程気にする年頃でもなく、親から与えられた洋服を着るのが関の山で、今思えばそのラッパズボン以外の洋服なんて全く覚えてもいないし思い出すことさえもない。
そんな私がどうしたものか、その頃どうしても欲しかったのがタイトな赤いパンツだった。
それを少年雑誌で目にしたのか、はたまたテレビで履いている誰かを目にしたのかは定かではないが、その赤いパンツを履いて年一の山車祭りの夜に繰り広げられる夜店街にくりだしたかったのである。
空想の中での私は、真っ赤なパンツに白いサンダルを履いて裸電球がまぶしい屋台がずらり居並ぶストリートでアメリカンドックを片手に型抜きをしているのである。
両親とは、両親が訪ねてきてくれる時しか会えないので、それをねだることは出来ない。
祖母には先月の誕生日にコンバットタンクのプラモデルを買ってもらったばかりだったのでやはりねだることなどできやしない。ただ、父親の妹である幸子おばちゃんは未だ独身でこの家で一緒に暮らしていたので、おやつの揚げドーナツを作ってくれている時に、練った小麦を輪っかにするのを手伝いながらさりげなくサンダルの方の話をしたら「いいよ」って言ってくれて、数日後その白いサンダルを買って来てくれたのだ。サイズもぴったりだったし、思い描いていたアイボリー系の色合いで最高にうれしかった。
いつも微笑んで私達兄妹に接してくれる優しい幸子おばちゃんは、その2年後、私達子供の知らない大人の世界の「縁談」という得体のしれない儀式的なものがまとまったらしく、突然のつむじ風のように遠くの町へと嫁いで行ってしまった。ショックは周りの色彩を一次的にモノクロームへと変えた。さすがにしばらくは寂しさが抜けきれず、家の中ががらんと広く感じたし、部屋を照らす電球が20ワット程暗くなった感じが続いたものだ。
結局、赤いパンツを手に入れることは出来なかった。
その後誰かにねだることも無かった、一日たかだか30円の小遣いでは仮にどこかでそれらしいパンツを見つけたとしてもとても買える余裕などはなかったし、ましてやまずその赤いパンツをこの界隈で見たことすらなかった。
真っ赤なパンツは夢のような存在だったのだ。
祭りの夜、私はデニムのラッパズボンに幸子おばちゃんに買ってもらった白いサンダルで夜の街へとくりだした。型抜きで散々やられてほとんどの小遣いを使い果たしてしまった。もともと型抜きでこれまでも成功したことなどは1度も無かったからそんなものだろう。
それでも何だか心がざわざわ楽しい夜だった。
それはきっとこの幸子おばちゃんに買ってもらった白いサンダルを履いていたからだろう。
汚さないように気をつけなければならない。

 
   
   
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