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第208話  苦手な話

  とある山の頂を目指して、私はその山道をザックザックと歩いていた。
それ程険しくもなく、ある程度の道幅も確保されていて山道としてはとても歩きやすく整備されていた。それほど多い訳ではないが、ある程度の山を登った経験の中では比較的年齢性別関係なく登れそうな山のような感じがした。
そんな山道をしばらく進むと、明るく空が見渡せるちょっとした広場にたどり着いた。その広場の片側には木製のベンチが2つ程設置されていて、1~2時間歩いてきた登山客が一息つくにはちょうどいい休憩場所と言ってよかった。
この時点でそれ程疲労感を覚えなかった私は、ここで休むことも無くそのまま山頂を目指した。案外これはいつもの事なのだが。ベンチに座ってのんびりとするのは、私にとっては時間がもったいないような気がするのと、休むと次の動作がおっくうになってしまうから、よっぽど疲れていない限りは座って休憩を取ることは少ない。
そこからまたしばらく進むと、前方にその山頂が望めるところまでやって来た。もう一息だ。ここで立ち止まってリュックから水筒を取り出しお茶をひと飲み、そしてまた歩きだす。山頂までは間もなくに到着した。高所なのでやや風はあるがたいしたことは無い。この日は晴天に恵まれて、ぐるり360度のパノラマはとても素晴らしいものだった。
風景写真を撮りそしてお茶をひと口のどに流し込んだら早々に下山する。山頂でもゆっくりとすることはほぼ皆無と言っていい。到達すると、なぜだか帰りたくなる。
下山は早いものだ。下へ下へと向かうので自然と早歩きになってしまう。今しがた登ってきたその山頂部分がすっかりと望めるあたりまで下りてくると、そこには木製のデッキが設置されていて、その山頂を眺めながら休憩できる場所が設けられていた。
そこでは一人の登山者がデッキ上のベンチに腰掛けていて、何やら口につまみながらこちらに視線を向けてきた。目のあった私は挨拶をした。
「こんにちは」
その一言で立ち去ろうとしていた私に向かって彼は言った。
「こんにちは、山頂どうでした?」
「はい、やや風はあるけど天気はいいから見晴らしはよかったですよ、これから登る感じですか?」
私は社交辞令として訪ねた。
「いや、あの山は昨日登ったし、今日は周りの山をぐるりと歩いてきたのでここでひと休みしたら帰ります。昨夜は全く眠れなかったのでもうくたくたです」
昨夜は眠れなかった?どこかに泊ったのか?疑問に思った私は、今度は好奇心から聞きいてみた。
「眠れないって、昨夜なんかあったんですか?」
彼は私の話が終わるとここぞとばかりに話し出した。
「来る途中にあったでしょ、避難小屋、昨夜はそこの2階に泊ったんですよひとりで。ちょうどまだ空も明るいうちにそこに入って、いつも持参しているウイスキーを水割りにして、そうだな~5杯くらいも飲んだかな、疲れていたのでそれくらいで眠くなってしまってね。そこでシェラフを広げてそのまま寝たんですよ。どれくらい時間が立ったのかな、何かの物音で目が覚めたんですよ。あたりはもうすっかりと日も落ちていて暗くなってました。
腕時計のライトをつけて時間を見ると午後の7時を少しばかり過ぎたところ、眠りについてまだ2時間ちょっとしか経ってなかったんですよ。そんな時でした、突然バリッバリッ、ガタガタっと、大きな物音がこの暗い建物の中で鳴り出したんです。知るかぎりここに滞在しているのは私ひとりのはずなんです、だから怖くなって。それですっかりと目が覚めてしまって、その場から動けなくなってしまったんですよ。建物の2階部分に上がっていたので途中トイレに行きたくなったんですが、1階まで下りることもままならず、ずっとそこで我慢して過ごしたんです。シェラフの中にすっぽりと身を包んで壁側を向いてじっと時間の過ぎるのを待ったんですよ。いろんな物音がそこここで発生していてそりゃもう恐怖でした。じっと耐え続けました。ひとりの長い時間が過ぎました。
疲れすぎて少しうとうとしたのかもしれませんね、ふっと気が付くと物音がしなくなっていたんです。そこで恐る恐るシェラフから顔を出して見ると、窓から早朝の淡い光が室内に差し込んでいました。今だ、と思いました。私はこの瞬間を逃すまいとシェラフから飛び出すとあたりに散らばる自分の荷物を総ざらい両手に抱えてそこを飛び出したんですよ、必死でした。溜まりに溜まってたオシッコは脱出してすぐに外でしました。いや~私あちこちの山で泊まることも多いんですけど、あそこ、やばいですね」
彼は一気にまくし立てた。
「こわっ、マジすか、そりゃなかなかきついですね、いや~よく頑張りましたよ」
私はその強靭な忍耐力にすっかりと感心させられてしまっていた。私ごときにはとても耐えられたもんじゃないだろうと実感していたからだ。
「大変でしたねその事故的体験、ここで休んだら今日は早々帰った方がいんじゃないですか。」
「そうします、疲れました。足止めしてごめんなさいね。」
彼はそう言うと、気持ちの中のつまり物を吐き出した安堵感なのか、さっきと違ったさわやかな顔で私を見送ってくれた。
「いえいえ、貴重な話ありがとうございました。それじゃあ、帰りは気を付けてくださいね」
そう言って私はその場を後にした。
しばらく歩くと彼の言っていた「避難小屋」が見えてきた。登る時もここを通ったが樹木にすっぽりと隠れていてその建物にはまったく気が付かなかった。
私は、そろそろトイレに行きたかったが、我慢しようと思った。その奇妙な話を聞いていなかったらその小屋に寄ったのかもしれなかったが、今は寄る気にはなれなかった。なぜなら得体のしれない何かがそこを支配しているのかもしれないと思うとやはり二の足を踏んでしまう、どうもその手の話は苦手なのである。
空を見上げると白い雲がのんびりと東へと流れていた。
さぁ帰ろう、私は来た時と同じようにザックザックと歩き出した。
ふもとのトイレまで3時間くらいか、我慢できるか少し心配だ。

 
   
   
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