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第204話  ズックの時代

  1960年代の小学生にとってのズック、そう今でいうスニーカーらしきものは日常誰しもが履く当たり前の必需品だった。男の子も女の子もほとんどがズックを履いていた。スニーカーと言うにはほど遠い素朴なつくりの代物で、国産の物がほとんどだったと思う。メーカー名なんてわからないし、スタイル別に名前があったのかどうかもわからない。
1年に1度、ちょうど進級するあたりの3月後半になると私は新しいズックを祖母から買ってもらえるのである。これが子供の頃の私にとってはかなり最上位に位置する喜びのひとつであった。このあたりになると、昨年買ってもらって履いてるズックはところどころ擦れて穴が開き、最初はどんな色をしていたのかさえもわからない程に薄汚れたぼろ布状態になってしまっている。そりゃ毎日365日、雨の日も風の日も体育の時も休日の釣りの時も、野球やサッカーの時だって履いている訳だから仕方がない。年間通して散々酷使している。それでもこうして私の足を守ってくれている、まさに万能な履物だったのである。
新しいズックを買いに行く前の日の夜などはワクワクで眠れないのである。ただただ興奮しているだけで、現在のようにどこどこのあれが欲しいと言った選択肢はなかった。なぜならどこにも情報がなかったし、その情報を得る手段も持ちえなかったからである。
行きつけの近所の靴屋に行って、そこにある小学生が履けるレベルのズックコーナーから選ぶのである。その靴屋は今思えば20坪もない程度のほんとに小さなところだったけど、客は子供達が中心だったのか、大人の洒落た革靴なんかよりは長靴などの作業用の物や子供用ズックの方がはるかに多かった。つまり日常使いの靴が主流の素朴な店だった。
その多くの種類のズックを遠目に眺めていると、決まって私を見つめ返してくるナイスガイなズックがいつも1足いるのである。そしてそれは私の好みを熟知しているがごとくに私ににこりとほほえんで来るのだ。それは決まって白色のレースアップの物でその純白の輝きに私は瞬時いちころなのである。
履いてみてサイズを合わせたところで、祖母は決まってハーフサイズ大きなものを買ってくれたものだ。そんな貧素な時代でもあった。
新しいズックを買ったとしても古い履きなれたズックを私は捨てたりはしなかった。なぜならそれには1年間共に歩んできた小さな歴史が刻まれているし、またその捨てると言う行為は何だかズックに対して悪いことでもしているかのような気がしたからだ。だから私は新しいものに履き替えたとしても古いズックも玄関先に並べておくのが常だった。もう履きはしないのだがそこにあるだけで私の気持ちが休まった。祖母も何も言わずにその行為をそっと見守ってくれていた。そしてひと月も経ったあたりだろうか、いつの間にかそのズックは姿を消すのである。すでに新しいズックが私の体のいち部と化して、それしか私が見ていないと祖母が判断し、もうそろそろかな、と私に内緒で処分してくれていたのだろう。すでに私の眼にはその古いズックの存在は無と化し、それに気づくことは無かった。今にして思えば、と言ったところだ。
新しいズックは快適だった。学校に行くのが楽しくなった。
あの時代、あとひとつの楽しみは1週間に1度あった。それは給食が無い日である。給食自体はむしろ私は好きな方だったのだが、その給食の無い日は近所の駄菓子屋で菓子パンを買って学校に持って行くことが出来たのである。パン生地を渦巻き状に形成したやつを油で揚げて、生地がサクサクに仕上がったらその上にチョコクリームが塗ってある菓子パン、それが私の大好物だった。その渦巻き状のパンをひも状にばらしてそれをちょこちょこと食う訳である。まるで飼育小屋のウサギが好物の菜っ葉を食うようにじっくりと時間をかけて味わうのである。これがまた至極のひと時であった。
ズックは安物だった、しかし私にはそんな小さなことはわからない、それで十分に満足だった。歴代それは、ただただ眺めていても、履いていてもさらに愛おしい、大切な宝物であったことは間違いない。

 
   
   
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