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第139話  もはやルーティン

  以前、友人が突然ながら痛風という病に侵された。
通院から薬の服用、ましてやその発症時の激痛具合を耳にした時、自意識はそこに集中するのか、足の指先の神経が敏感になる。
歩いていても運動していても、のんびりと横になっていたとしてもぼんやりとした痛みを感じてしまうようになる。身に覚えのある飲酒習慣、いつ何時私自身をその病が襲ってきても不思議ではないお年頃。
時にピリリとしたやや激しいような、あくまで「ような」痛みを感じた時は「まさか!」などと思ってしまい整形外科へと向かったものだ。
診察券を出すところまではその部分に軽い痛みを感じているのだが、いざ先生による診察が始まると痛い箇所がわからない、指を横に引っ張っても押しても縦に引っ張っても何ともない。案の定、検査結果は異状無し、ひと安心はするのだが反省もする。
頭痛の時もそうだった。
子供のころから頭痛とは無縁な生活を送ってきていた私ではあったが、テレビで「頭痛の怖さ」的番組を観て、その恐怖の内容が無意識のうちにこころの片隅に巣くってしまう。
ある時チクリとした、ちょっとした頭痛を感じたときに「まさか!」と旋律がはしる。
病院に行って診察券を出し、待合室のベンチに腰掛ける。
そしていつもの事なのだが、病院という、まるですべてを包み込んでしまう慈愛に満ちた安全地帯のような空間に触れたところでふと想う。
「あれっなんだか痛くない」
さっきまであれ程痛みを感じていたのに、不思議と痛みは消え去ってしまっている。なんならもう一度痛くなれ、なんて思ってもしまう始末。
検査の結果は言うまでなく、結局どこも悪くないのである。
だが、たっぷりと年齢を重ねてきたせいもあり、ここのところ長らくそんなこともなくなった。一息ついて考える、そして経過観察、少しばかりあわてない大人になったようだ。
また、こんなことも。
「あれっ玄関のカギかけてきたっけ?」
出先でそう思うと、もう居てもたってもいられなくなる。すぐに飛んで帰る事が出来ない状況にあればなおさらその思いが強く、頭のなかの多くの部分をその思いが占めてしまい、やきもきととまどう。鍵をかけた、鮮明でリアルな感覚的記憶が必要である。それに加え電気のスイッチオフにガスの元栓コックのオフも同様、カギとワンセット。
こちらは未だに続いている。
家を出るとき、ナンバリングをつけてあるそれらの指差し確認は欠かせない。まるでルーティーン、それで心豊かに暮らせればやはりそれが必要である。
どうやらこちらは死ぬまで治りそうもない。

 
   
   
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