「これ?この材料は使えないよ、この板材だとその予算では無理だな、もっと安い板材を使うか、もしくは根本的に考え直すか」 工務店からの痛い言葉。 思えば創業当初の6坪ほどの店舗は、外観から内装什器に至るまで私自身のハンドメイドで賄った。ハンドローラーで内外壁を塗り付け、今では考えられないが洋服をたたんでおく木製の棚などは木ネジを使わずに単なる釘打ちで作成していたものだ。当然ぐらぐらとゆがんだ。床は木彫をプリントしたクッションマットを敷き詰めて対処した。 それでも、それが私にできる精いっぱいであり、それ以上を望むすべはなかった。 夏の灼熱を耐え、心地よいクーラーを設置できたのはそれから5年の歳月が経過したあとだった。 鳥屋部町の店舗に移動したのは創業から10年、ひとつの区切りを迎えた春だった。 かなりの広さはあったが、当然ここも私が手掛けた。 時にカミさんに手伝ってもらいながら一心不乱に壁を塗り、青いツナギひとつなりふりかまわずコツコツと2ケ月をかけて棚から何から新店舗にあわせてすべてを作り直した。什器製作には古い足場板を大阪の業者から大量に買い入れ、それを切ったりはったりと日夜加工に励んだ。さすがにこの時は木ネジで要所をとめた。 頭の中にある理想と目の前にある現実は随分とかけ離れてはいたものの、それでもやはりそれはその時の私のできる最高のものであった。妥協という思いはこの時点では皆無であり現実的な範囲内として理解できていた。ただ、努力に対しての妥協はなかった。 それでも容赦なく時代は大きく流れ、粗の目立つこの店舗もその時代においていかれそうになる。そこで改装を決意。 ここからはもう、私の稚拙な造作物ではすでに対応できるものではなくなっていて、やむなく工務店への発注ということになる。そしてここから妥協という言葉を思い知らされることとなるのである。自身が作らなくなると頭の中にある理想を形にしようとプランを作成するも、私の心にぐさりと突き刺さる鋭いナイフのような見積書を目にすることになる。 そこにある現実的な経済力をあざ笑うような桁違いの数字が規則的に並ぶ。 体力には自信はあるが、経済力はからっきし・・・。 ひたすら頭を下げて、ある程度まで造作物のレベルを上げてもらうのである。 ただ、このあたり、この手のとどくあたりの材料でどこまで良いものを作り上げていけるか考えるところに面白味が隠れていたりもする。思いがけない発案が生まれ、素晴らしい形になってくれた時は計り知れない自己満足が私を包む。 2000年代に入り、繁華街の衰退に歯止めがかからず社会は郊外型へと移る。 来店して頂く方々もほぼ車、以前のように徒歩で来店して頂く方々はいなくなっていった。 そんな時節、私たちは広い駐車場を求め2度目の移転に踏み切った。 ここで工務店の担当者からの、あの痛い言葉をいただく。 それでもそこに折り合いを見つけ折れるところは折れ、頼むところは必死に頼んで何とかうまく形にできるように粘り強く交渉、やはり大きな妥協はそこに存在したがなんとか形にはすることだけはできた。 「あっ、あとこれ、内外装とは別の防火設備の設置のための請求書、火災報知器とかあれこれつけないと消防からの営業許可は下りないからやらなければいけないやつ、この金額だけどどうする?」 工事も終盤に入ったころ担当者から一枚の請求書を渡された。 その防火設備設置の必要性と費用については前もって友人の建築家からおおよその金額を聞いていたところだったので、ちらりとそれを目にしてみて、そんなものかと二つ返事でOKを出した。 東日本大震災をまたいでの、2ケ月を要した大型改装も無事終了。 その改装費用は契約上前もって支払っていたので、残っているのはその防火設備の設置費用のみだった。一本の電話が入り、その集金に行きたいという。私はいつでもどうぞと軽く答えた。工務店担当者は、契約している別会社が設置したその防火設備費用を代理集金という形で現れた。そして鞄から領収書を取り出し私の目の前に置いた。 私は目の前に置かれたその領収書に一目、そして違和感を覚えた。 「えっ」 上ずった声が自然に漏れた。 真実のそれは、ひとけた違っていた。 私は持参してある、先に頂いてある請求書を開き、そして確認してみた。 「いち、じゅう、ひゃく、・・・・。」 間違えていた、完璧に間違えていた、先入観、友人の建築家からのアドバイスはいったい何だったのだ、やはり電話でのやり取りでは現実が見えないか、ここに来ての大失態。 まるで小さな塊と化した私は丁寧に平に笑顔であやまり、そして3ケ月ほど支払いを待ってもらったのであった。 だが、考えてみれば、ここは妥協のできないところだったに違いない、もしかして真実の金額を素直に理解していればいったいどうなっていたことか?金銭交渉によって、防火的に不十分な設備展開になっていたかもしれない。ここはこれで良かったのだろうと自身を慰めた。なんとかなるさ。 潤沢な資金があれば当然いいものができるのだろうが、考え工夫し努力して良いものを作って行くのもまた楽し、そう感じる部分も多分にある。 これからはコツコツとその未完成な部分を手直ししていき、理想的な完成形へと近づけて行きたいものだが、たぶん「妥協は続くよどこまでも」かもしれない。
そうだった、そう言えば「雨漏り」、今年の初っ端の台風から始まりだした雨漏り、まずはそれだ、どうやらその雨漏りから先に直さなければならないようだ。