なんなのだ、この尊厳なるおおきなおおきな存在感は。 あまりにも眩しすぎる。
私には、祖父の記憶というものがない。 意図的に尋ねた事が無いのでいつの頃なのかは定かではないが、私が記憶を留めておけてるあたりにはすでに祖父は他界していたと思われ存在そのものがなかった。祖母の家の居間の天井と鴨居との隙間部分に虎目の立派な額縁に入ったモノクロ写真の中にその姿をとってみることだけは出来た。黒ぶちメガネをかけてややふくよかなその姿からはさりげない優しさがつたわって来るのだが、想像の世界でしかない。もし私の幼い時代にその祖父 が生きていたなら私にとってどんな存在だったのだろう。生前祖母から受けた大きな慈愛を考えると、私の意識が知識として物事を認識出来るように成長するまではせめて生きていて欲しかったと、今更ながらそう思う。 それに引き換え祖母と祖祖母は長命だった。もちろん今では亡くなっているのだがどちらも90歳をこえるまで元気に生きた。私の記憶には鮮明にその姿がすり込まれていて、楽しかった事のみが思い起こされる。 その祖父の写真の右隣には祖祖父の写真が飾られていた、がもちろんその記憶も私にはない。 2012年、そんな私に孫が出来た、それもふたり。 (双子ではない、姉弟それぞれが結婚しそしてそれぞれに生まれた。) だから孫としての経験の乏しい私にはその孫とどう接すればよいのかよくわからないのだが、とにかく可愛いという事だけは確かだ。まぎれもない真実だ。 私のように自由奔放に生きてきた者が言葉にするのもおこがましいが、当然として自身の子供達はかわいい、のだがその感情とそれとはまたひとつ別種のものだ。限りなく許せる奥深さだ。こちらを見て「ニコッ」とされたらそりゃあもういちころだ。夜を彩るおねえちゃん達でもそれには到底かなわない。 子供達のように直接的ではないから?間接的なゆえに、ますます大きな手で支えてやらなければならないような愛しさが生まれてくるのか?若すぎて日々の生活に目いっぱいだった頃には見えなかった本質的な部分が自然に見えてきたのか? いろいろと頭の中を考えが廻るが、もしかすれば自身の幼かった頃、自分自身を客観的に見ることのできなかった頃の無防備だった自身を投影しているのかもしれない、とも思った。それは神秘的でありかつ不思議な感覚である。また、以前は分別のつかない子供達をすんなりと受け入れる程の寛容体質ではなかった私が、この頃では世間に存在する子供達まで愛しく感じてしまっている。それはその孫の誕生のせいであり、思考の偏った仕事人間としては大きな進歩と言っていいのかもしれない。 日々、表情が豊かになり成長しているのが目に見えてわかる。 どうなっていくのか、まったく楽しみでならない そう言えば、私が無知で愚かな小学生の時分、お年玉の中身が群を抜いて多額な親戚のおじさんがいた。今考えてみてもその姿を見るだけでわくわくしたものだ。その人がいったい誰だったかは今ではまったく覚えてはいないが、当時は当然のようにそのおじさんは私のなかのヒーローであり、お盆と正月は心ひそかにそのおじさんの事を待ち焦がれたものだ。やはりそのあたりはケチってはいけないだろう、ご祝儀だけはしっかりと奮発しておかなければいけない。なんとしてもやつらのヒーローにならなくてはいけないのだ。 それも、これみよがしではなく、それとなく、が鉄則だ。
今日はクリスマス、すでにカミさんがそれぞれに素敵なプレゼントを用意してある。いやーっ、こればっかりはつい先を越されてしまった。しょっぱなからつまずいた感は否めない。しかし、このあたりはやつらの記憶にまだまだインプットされることはないだろうから安心だ。それでも一歳の誕生日、もしくは来年のクリスマスには気を引き締めて考えなくてはいけない、そしてしっかりと用意しておかなくてはならないだろう。 たくさんの話をしてみたい。 陽だまりの中で散歩もしてみたい。 一緒に走るとか、スポーツもいいな。 なーんて夢や希望や願望が膨らむがとにもかくにも「じいちゃん」と呼んでくれるまで、 そしてその頭脳にわずかにしろ記憶として残ってくれるところまではなんとか頑張らなくてはいけない、と思っている。
たお、あんり、じっくりとおおきくなれよ!
*残り少ない2012年の日々、皆さん風邪などひかずにお元気でお過ごしでしょうか。 各店共々本年も大変ご愛顧頂き誠にありがとうございました。 年末年始のスケジュールになります。 2012年12月31日 17時終了 2013年 1月 1日 休み 2日 初売 11時オープン 3日 通常営業 1月1日だけはお休みを頂き、1月2日より営業致します。 恒例の福袋は今年もジョンブル、オムニゴッド、そしてオリジナルと3種類で行きますのでお楽しみに。 2013年もどうぞよろしくお願い致します。